DOCKING.
鎌倉時代の力士像が江戸時代のそれよりも見栄えが良いのは、脊椎による曲線美の有無にある。そんな記事を前回書いたけれども(静物と生物を分かつもの@奈良東大寺。 | NARA NEARBY COMMONS.)、日本のSFロボやその玩具の歴史もまた、合体 docking/変形 transformation/脊椎 spineという観点から捉えることができるだろう。
DOCKING
「合体」と言えば、やはり思いつくのが機動戦士ガンダム THE ORIGINEですね。真のオリジンである70年代ガンダムでは、コアブロック構想をめぐってひと悶着あったようです。作者である富野氏がきっとこう言ったのでしょう。コアブロックなんてガキっぽいんだよ!悲しいかな、 企業のスポンサード無しにアニメはつくれません。その後、玩具メーカー「クローバー」の意向を受けて、ガンダムはコアブロック機構とトリコロールカラーを採用します。
富野氏が思い描くガンダムの色は、ユニコーンのように真っ白でした。彼は「2001」や「SATR WARS」に出てきた宇宙船に影響を受けています。なので、そもそも富野氏は日本のロボットアニメが大嫌いなんですね。岡田斗司夫曰く、そういう富野氏のアンチ・マーケティング精神と怨念が物語内のシャアに憑依して、物語設定をめちゃくちゃにしていく。そういう形で原作者のカタルシスが浄化される。・・・なんとも屈折した作品です。
ただし、「ドッキング」はSFの想像の産物ではなく、1970年前後のアポロ計画の要の機構でした。なので、合体機構それ自体は、SFでも子供じみているわけではいんですけどね。問題なのは「人型のロボットがドッキングする」ことです。分離できるなら何のための人型なんだよ、っていうツッコミは確かにあるとは思います。ジオングなんかまさにそうですよね。シャアって、この後金ぴかのMSにも乗るけど、この人のセンスって狂ってるよね。話を戻すと、ガンダムの世界でのコアブロック機構は、パイロットの生存確率を高めるためにあります。
余談。人気が無くて打ち切りになった「機動戦士ガンダム」は、夕方に再放送されていました。それでも当時の私は保育園児で、なんかむずかしいなー、そして玩具のロボットはもっさいなー、って感じでイマイチな印象を持っていました。その後、小学校になって、小遣いで買える玩具はガンプラだったんですね。ガンプラを作るのが上手いやつって、クラスで一目おかれましたよね。そして、プラスチックだからいろいろ加工もしやすい。大人がタミヤ模型の戦車みたいに、ウェザリング処理したガンダムやザクのジオラマを作りはじめる。この時、「2001」のような純白の宇宙船、そしてトリコロールカラーのスーパーロボットとも異なった「泥臭いリアルな空想兵器としてのモビルスーツ」が登場するのです。
「機動戦士ガンダム」は従来の超合金ロボを売るためのアニメとしては失敗作だったのですが、プラモというさらに格下の玩具市場から再評価されたのでした。その理由は、ガンプラは超合金ロボよりも安価で子供が容易に手に触れることができたこと、他方大人にとってはマニアックな加工表現が可能な素材として見なされたことによります。こうして大人・子供を巻き込んだガンプラ・ブームが起こります。ガンプラが社会現象になった背景には、大人を巻き込んだということが大きいですが、バンダイが積極的なマーケティングをしていたわけではないです。
森町の頭の中↓ むむむ描き直したいが・・・めいんどくさいのでこのまま。
「実在する兵器の模型」と「SFのロボット」という明確な境界をとっぱらった作品として「宇宙戦艦ヤマト」がありました。この作品によって「自在する兵器は大人向けのタミヤ模型、アニメ作品はさらに格下の子供向けプラモ」というカテゴリー区分がゆらぎます。ガンダムは、ヤマトによる市場変化の波を上手くつかんで復活をとげるんですね。バンダイはマーケティングはしなかったけれど、市場構造のゆらぎを意味づけて、一つの確立したマーケットにすることに成功したとは思います。
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