他者の懐古を権威として受け入れるとき、そこから歴史が始まる。

いろんな雑誌が休刊になって、さびしい今日この頃。

雑誌文化の衰退か、あるいは日本の文化自体がさびれているのか、まーその両方だと思うけど。。。そんななか、休刊に追い込まれながらも、編集者やライターがそのままユーチューバーになってがんばっている媒体がある。アスキーがそれだw

アスキーとかログインの記事が少年のころの私には面白かったね。同じ出版社でもファミ通は生理的にダメだったけどw 下記に紹介する動画では、当時現役だった編集者たちがパソコン黎明期、雑誌文化の裏方を語っている。昔は良かったなあ、と目を輝かしながら語る様に、ちょっと複雑な気持ちになるけれど、まあそれはそれで一つの歴史的資料だよねえ。


USキーボード&シエラの暫定救世主。

USキーボードにあらずんばMacにあらず。

デザイン的にもUSキーの方がカッコイイでしょ。

エンターちっちゃいけど、そんなもん慣れっすよ。

ただしUSキーボードはKarabinerなしではあり得ない。

これで左右の⌘キーが日本語JISキーに化けるのだ!

しかし、今、最新のOSでコレが使えないという地獄絵図が・・・w

冗談抜きで気が狂いそうだあああああああああうあう。

そんななか、不意に見つけた地獄にホトケアプリ、

「⌘英かな」です。

簡易Krabinerですね。たすかった。

片手と両手の世界。

昨今のスマホが、スペックの割に実際の使い勝手がイマイチだ、と感じてしまうのはなぜだろうか。それは、片手でいろいろできるようで、結局のところ両手をふさいでしまう点にあると思う。

だから真のアップル信者はやっぱiPhoneは4だよなーとぼやくのだ。画面は小さいながらも、片手で気持ちよく操作できたガジェットだった。私自身はいまだにガラケーにこだわっている。

iPadは、電車の中でひざに乗せて使うことができない。両手で本体を支えながら、さらにUIのスワイプを強いられるので結構ストレスがたまる。MacBookのほうが膝の上における分ハンズフリーだし、その気になれば左手と肘で支えて片手で持つことが出来る。

Apple Watchもバッテリー云々の問題以前に、時刻を確認するたびに右手でタッチする必要がある。もう一方の腕が必要な腕時計なんかイヤだ。

ファーストフードの定番はハンバーガーだけど、歩きながら食べている人を見たことがない。両手をふさぐからだ。商店街のコロッケ屋が人気なのはコロッケが片手で食べられるからである。

 

タテとヨコの世界。

忙しかったり、雨が降ったりでこの数日、奈良公園に行っていない。と、いうことで、数回にわたるデザイン与太話でブログの間を持たそうかな、と思っている今日この頃。

唐突だが、世界は「タテ」と「ヨコ」の二つの文化の混成態なのだ!

JR大阪駅はもちろん近鉄奈良駅でさえ広告が液晶ディスプレイである昨今、柱の広告はタテ表示である。タテの動画って、新鮮だよね。写真だけでなく業務用動画もタテの需要が今後あるということだ。デジイチの縦位置グリップって動画でも必要になってくるかもよ?

ビデオゲームの世界ではどうか。インベーダーやドンキーコングに象徴されるように、かつてビデオゲームはタテの世界だった。

しかし、ファミコン以降、それが家庭用テレビにあわせるようにお馴染みのヨコの世界となった(例えばスーパーマリオ)。しかしスマホの普及によってゲームは再びタテの世界が復権しつつある。

ビジネス分野ではどうか。ペーパーによる公式文書はタテの世界だ。しかし、タテの書類を作成するためのディスプレイはヨコであるという矛盾がここにある。そういえば、昔こんなマックもあったなあ。

パワポはヨコ文化なのでPC上での編集では違和感がないが、それをタテの印刷文化に落とし込もうとするや否や破綻する。各スライド間の流れやつながりが直感的でないのだ。

iPadが地味に革命的なのは、このタテとヨコの両方の世界を手中におさめてる点だと思う。でも、iPadって、死ぬほど持ちにくくない?

ネクスト・ユーチューバーは絵本作家だと思う。

日曜日の奈良公園で、親のスマホを食い入いるようにみつめるチビっ子を横目に、そう思った。そのとき、子供にどの動画を見せるのかは親の価値観が反映される。おそらく選ばれるコンテンツは、過激な内容のものよりも絵本のようなやさしくて温かみのある動画だと思う。

今回は、とりあえずタイトルだけそういう雰囲気をだしてみた。