静物と生物を分かつもの@奈良東大寺。
鎌倉時代の金剛力士像に比べて江戸時代の毘沙門天の方がダサいという事実は、技術や知識を伝承する努力を怠るとどうなるのかをよく表している。ファミコンを設計した村上さんが言ってたけれど、任天堂はゲームを作ったあと、子供達がそのゲームをどう遊んでいるのかをチェックしていないらしい。なんで?って聞いたら、そんなヒマないよ、だって。自分達のつくったものの何処がウケてどこが不満なのかを正確に把握できていないのだ。だから最近の任天堂って、キャラゲーばっかなんだよ。過去のノウハウを継承発展できていないのだ。
ええと、それはさておき、前回にも書いたけど(〈瞳〉の博物誌@奈良東大寺。 | NARA NEARBY COMMONS.)、運慶快慶の金剛力士像の躍動感は、下から見たパースのリアリティを追求していることに由来している。おそらく、東大寺の金剛力士像を1/12スケールのフィギュアにしても、バランスが悪いプロモーションになるだろう。東大寺の力士像はあくまでも私たちがそれを「見上げたときの」臨場感を優先してデザインされている。裏を返せば、ある種のリアルを超えたある種のデフォルメがほどこされているのだ。
これに関して、もう一つ違う観点から考えておこう。以上のように、運慶快慶の力士像は反リアルなデフォルメを持ちつつ、生き物の躍動感の本質を外してはいない。その本質とは「脊柱」である。これが静物と生物を分かつのだ。力士像の身体の中心には、しなやかな多関節がある。
他方、江戸時代の巨像には脊柱(しなやかな軸)が存在しない。左右対称のボディが塊としてある。
このコレジャナイ感は、親にはじめてガンダムを買って貰ったときの気持ちに近い。クローバー社のガンダム。
「クローバー ガンダムDX合体セット」 機動戦士ガンダム ( おもちゃ ) – -TUGUの日替わりめにゅ~- – Yahoo!ブログ.から画像を借りました。
人型なんだけど、直立不動な感じが嫌だったw だってアニメだとこんなにしなやかなのにー。
絶対、脊髄あるやろ、みたいな。近年はそのアニメの動きに近づけるべく、ガンプラも進化してます。それでも脊柱は存在しえないんですね。コアファイターの存在を否定することになりますw
2 thoughts on “静物と生物を分かつもの@奈良東大寺。”