これからが夏休みだよ!モリマチ自薦駄文集。

過去に書いたモノは読まない主義です。なのですがたまには押し入れ掃除する感じでブログ内の記事を再編集してみようかな、と。

今回は映画編です。

『千と千尋の神隠し』の街並み。

『下妻物語』の街並み。

『トゥルーマン・ショー』の街並み。

『ペイ・フォワード』の街並み。

精読『ファイト・クラブ』その1。

精読『ファイト・クラブ』その5。

MOON ROOM その8。

狂い。

MacBook@MISSION: IMPOSSIBLE.

その後のブリジット・ジョーンズ、見たい?

大ヒット作の後日譚の後日譚なそうで・・・

さすがにヒュー・グラントは出演断ったかw

物語では事故死になってるそうですw

10月公開っす。

しかしなんだろう、コレ好きな人って一作目で完結しているわけよ。

アラサーならまだしも、

いまさらアラフォーのラブコメやられてもなー。

それ、ラブコメというより、ホラーかもしれない。

昔、アニメ『タッチ』の後日譚をTV特番でやってたけれど、

大学生のたっちゃんが燃え尽き症候群になってるという・・・

だから、それ、誰得アニメだよw

私の青春をけがさないでください!!(野球したことないけど)

とにかく、そんなん見たくないですしおすし。

・・・ってなことを連想してしまった。

話を戻すと、原作である小説版『ブリジット・ジョーンズの日記』は1996年に出版。

まだ携帯電話は警察とか不動産屋の仕事道具でしかなかった。

そして映画版は2001年に公開。

2001年ではもう、みんなが携帯電話を持っている時代だけど、

この映画で使用されることはな いんだよね。

なので毎回、家までいきなり押しかけてくるw

PCのeメールをラインみたいに使うシーンがあって、

それはちょっと新鮮かも。

ちなみに、この頃のメディア普及のダイナミズムを知りたい人は

2002年公開の『フォーン・ブース』と『セルラー』の特典映像の解説がオススメです。

ゾンビ三昧。

ウォーキング・デッド(ドラマ版)をシーズン1から4まで見た。タイトルは直訳すると「歩く屍」なので、いわゆる古典的なゾンビのことなんだけど、絶望し感情を捨てて彷徨う人間の暗喩でもある。そんな人間はゾンビと一緒でしょ希望もてよ、ってこと。主人公たちに出会う前のミショーン、黒人サムライおばさん(笑)なんかがそれですね。

武器について。このドラマの面白さは語りつくされているので、違う角度から言及しておくと、このドラマ、なぜか酒とタバコは悪なんだよなーw 他方、世界が崩壊して文明が終わった割には、めちゃ銃社会です(どこにそんなに弾丸があるんだよ、いやアメリカならあるか)。ボーガンと刀も活躍するね(視覚効果としては銃より迫力ある)。カマとかムチなんかが出てきてもいいかも。

商業について。生活物資の調達は基本的に窃盗か略奪です。闇市みたいなマーケットが存在しない。ゲームの「ラスアス」には存在したよね(ってゆーか主人公が闇市のブローカーだった)。いやあ、終末期でも行商人がいていいと思う。昔みたいに薬とか売りに来てくれたら助かるやんw さて、仮に商取引があったとして、既存のドル紙幣や金は貨幣の役割を果たさないだろう。マルクスの貨幣論じゃないけれど、終末期に貨幣の役割を果たす商品は何かな? 終末期の貨幣の条件は、劣化しない、可搬性がある、普遍的実用性があるような商品だ。個人的には、乾電池、トランシーバー、塩、缶詰、マッチ、石鹸、ソーラー式腕時計なんかが挙げられると思う。

ちなみに弾丸は貨幣の代わりにはならないと思う。その理由は二つあって、第一に、弾の種類が多すぎるという点(乾電池はアメリカでも基本的に単三か単四でしょ)。ポピュラーな9mmの弾丸はみんなが欲しいと思うかもしれない。でも、貨幣に代替できるほどの量はないのではないか。第二に、乱世では他人に銃弾を渡すことは危険だろう。仮に私が所有する9mm弾丸と相手の桃の缶ずめを交換したとする。相手はまさにその弾丸で私を撃ち殺し、缶ずめと残りの弾丸を手にいれようとするかもしれない。そうではなかったとしても、いちいち相手を疑ったりチェックする取引コストが発生してしまう(要はめんどくさいことになる)。

通信手段について。トランシーバーがシーズン1だけ出てくるけど、狩りや警備といった近隣の仲間同士のコミュニケーションでもトランシーバーは重要な価値を持つと思う。それが無いなら、前近代的な「のろし」や伝書鳩なんか再評価されるだろうなあ。鏡をキラキラ反射させるのもありだろう。

エネルギーについて。物語世界のエネルギーは石油中心主義です(CDCでさえもw 科学者が自分自身でツッコんでたよなあ)。いやー、電力はソーラーが中心でしょ(ブラッドベリーではちょっと出てきた)。終末では、ソーラー発電の腕時計が人気だと思う。このドラマの原作はゼロ年代のものだから、そういう発想は希薄なんだよね。でも5年後のゾンビ映画はソーラーがエネルギーの中心的存在になるだろう。あと、水車でバッテリー蓄電なんていうのも、ローテクとハイテクの融合で演出的にも面白いと思うな。こういう事を発想できる人、緻密に設計できる人、それを製作できる人…が集まって、社会の歯車が回り出すんだと思う。ドラマは家族愛(疑似家族も含む)に偏重しすぎな気がしなくもない。

一週間、家のブレーカーを落として、どこまで快適な生活を送れるのか、ちょっと実験してみたい今日この頃です。。。

ラスアスの元ネタ映画を観る、看る、診る。

 

『ウォーキング・デッド』

ドラマの方です。ゾンビで世界が崩壊しても警官の制服にこだわる制服フェチ主人公ww  否、そんな状況だからこそ、こだわるのか。物語内でもそれで得してることあったなー。家族の絆ものですね。ポケモンの主人公みたいな黄色人種(韓国人)も良い演技です。『ラスアス』は東洋人でてこないんだよ。

 

『ザ・ロード』

親子二人旅もの。うわー・・・なんつー陰気くさい映画なんだよ。ラスアス脳ならラストのおっさんすら疑ってしまうんだけどw 食糧不足で人間が人間を食べてます。

 

『トゥモロー・ワールド』

世界の運命を変える少女とおっさんの物語。イギリスのEU脱退を予言するかのようなロンドンの荒廃した街並がよかった。でも作品としては、役者と予算の無駄遣いだわ。コトバで考えた世界設定をちゃんと映像のレトリックへ昇華できていないと思う。

 

総じてゲームのシナリオのほうが秀逸です。人間関係を考えるとき、

1家族

2友人

3利害の共有

4社会システム

5人類

みたいなレイヤーがあると思うんだけども、だいたいB級映画は「1家族」と「5人類」の危機、あるいはその板挟み〜というベタな設定に終始することが多い。緊迫な駆け引きは「3利害を共有」するクソ野郎との協同によって演出できる。「2」と「3」の混同も物語に意外性を与えるよね。

ゲームの『ラスアス』の一番の見所は「4社会システム」がちゃんと描けている点だと思う。例えば、『ザ・ロード』の世界では世界的な食糧不足で、人間を狩る人間が出てくる。彼らは荒廃した世界の悪魔的存在として描かれている。他方、『ラスアス』ではそういう人間たちにも腹を空かした家族がいて、生きるための手段(環境適応)として描かれる。純粋な悪など存在しない。理性を欠いた野蛮民族ではなく、村のリーダーも投票で決定される。

『ラスアス』の真の主人公は、世界が崩壊した後の社会システムズなのだ! ジョエルとエリーの旅は単なるアメリカ大陸横断ではなく、文明崩壊後に、再起動された様々な社会システム巡礼の旅でもある。

オデッセイの感想文。

原題”THE MARTIAN”が、小説邦題では『火星の人』になり、映画邦題だと『オデッセイ』になる。なんなんだこのセンスの無さ! 素直に『マーティアン』でええやん。この業界の翻訳者ってアホしかおらんのかしら?

まま、それは良いとして、内容は面白かったです。かなり小説に忠実だったかな。

でもローバーでの移動は電力だけでなく、酸素生成も一苦労だったことやクレーターに落ちてローバーごとひっくり返ったシーンはカットされているけどね。

特に、畑がアクシデントで吹き飛んだ後も、実はバクテリアが生きていたという小説のプロット(あったと思うんだが・・・)は映画でも出てきたほうが良かったかも。そのしぶとい生命力は主人公のそれと重なるからだ。

あと気になった点が三つ。

主人公の生還を見守る地球上の群衆たちの描き方が凡庸だと思う。街中でみんなが見守るのは古典的すぎてクサイ。もっと現代的(2035年)な描写はないのかよ。実際のアポロ13に重ねているのは分かるけれど、私はアポロ13という史実がフィクションだと思っているので、その分余計に胡散臭く思ってしまう。

カット編集がイマイチで会話が冗長に感じる箇所があった。主人公がメッセージを発し、ヘルメスのクルーがまたそのメッセージを復唱してるのは演出的におかしい。

ヘルメスが直接主人公を助けに行くことの意義が不明瞭だ。映画では「仁義きるぜ」的な精神論になってしまっている。だから、このアイデアを出した黒人スタッフもただの奇天烈野郎になってしまっている。ここ、小説の要だったから致命的な失敗じゃない?