ゾンビ三昧。
ウォーキング・デッド(ドラマ版)をシーズン1から4まで見た。タイトルは直訳すると「歩く屍」なので、いわゆる古典的なゾンビのことなんだけど、絶望し感情を捨てて彷徨う人間の暗喩でもある。そんな人間はゾンビと一緒でしょ希望もてよ、ってこと。主人公たちに出会う前のミショーン、黒人サムライおばさん(笑)なんかがそれですね。
武器について。このドラマの面白さは語りつくされているので、違う角度から言及しておくと、このドラマ、なぜか酒とタバコは悪なんだよなーw 他方、世界が崩壊して文明が終わった割には、めちゃ銃社会です(どこにそんなに弾丸があるんだよ、いやアメリカならあるか)。ボーガンと刀も活躍するね(視覚効果としては銃より迫力ある)。カマとかムチなんかが出てきてもいいかも。
商業について。生活物資の調達は基本的に窃盗か略奪です。闇市みたいなマーケットが存在しない。ゲームの「ラスアス」には存在したよね(ってゆーか主人公が闇市のブローカーだった)。いやあ、終末期でも行商人がいていいと思う。昔みたいに薬とか売りに来てくれたら助かるやんw さて、仮に商取引があったとして、既存のドル紙幣や金は貨幣の役割を果たさないだろう。マルクスの貨幣論じゃないけれど、終末期に貨幣の役割を果たす商品は何かな? 終末期の貨幣の条件は、劣化しない、可搬性がある、普遍的実用性があるような商品だ。個人的には、乾電池、トランシーバー、塩、缶詰、マッチ、石鹸、ソーラー式腕時計なんかが挙げられると思う。
ちなみに弾丸は貨幣の代わりにはならないと思う。その理由は二つあって、第一に、弾の種類が多すぎるという点(乾電池はアメリカでも基本的に単三か単四でしょ)。ポピュラーな9mmの弾丸はみんなが欲しいと思うかもしれない。でも、貨幣に代替できるほどの量はないのではないか。第二に、乱世では他人に銃弾を渡すことは危険だろう。仮に私が所有する9mm弾丸と相手の桃の缶ずめを交換したとする。相手はまさにその弾丸で私を撃ち殺し、缶ずめと残りの弾丸を手にいれようとするかもしれない。そうではなかったとしても、いちいち相手を疑ったりチェックする取引コストが発生してしまう(要はめんどくさいことになる)。
通信手段について。トランシーバーがシーズン1だけ出てくるけど、狩りや警備といった近隣の仲間同士のコミュニケーションでもトランシーバーは重要な価値を持つと思う。それが無いなら、前近代的な「のろし」や伝書鳩なんか再評価されるだろうなあ。鏡をキラキラ反射させるのもありだろう。
エネルギーについて。物語世界のエネルギーは石油中心主義です(CDCでさえもw 科学者が自分自身でツッコんでたよなあ)。いやー、電力はソーラーが中心でしょ(ブラッドベリーではちょっと出てきた)。終末では、ソーラー発電の腕時計が人気だと思う。このドラマの原作はゼロ年代のものだから、そういう発想は希薄なんだよね。でも5年後のゾンビ映画はソーラーがエネルギーの中心的存在になるだろう。あと、水車でバッテリー蓄電なんていうのも、ローテクとハイテクの融合で演出的にも面白いと思うな。こういう事を発想できる人、緻密に設計できる人、それを製作できる人…が集まって、社会の歯車が回り出すんだと思う。ドラマは家族愛(疑似家族も含む)に偏重しすぎな気がしなくもない。
一週間、家のブレーカーを落として、どこまで快適な生活を送れるのか、ちょっと実験してみたい今日この頃です。。。