兵どもが夢の跡@滋賀安土

 

こんにちは、gooseです。
2013年も残りわずかとなりましたね。

突然ですが、今年2013年はかの有名な
織田信長が横死してから431年となります。
豪華絢爛な安土城を近江に築城したが、
わずか3年ほどで落城してしまった
というのはあまりにも有名な話で、
誰もが一度は
聞かれたことがあると思います。

そんな安土城ですが、現在は
特別史跡として滋賀県近江八幡市に
あります。
石垣しか残っていませんが、
年の瀬の歴史舞台を訪れてみました。

この安土城ですが、1989年までは当時の
姿とは全く異なるものでした。
それを20年かけて発掘・調査され、
できるだけ当時の姿に復元されています。
20年発掘しても全城域の2割と
いわれており、こんなところからも
安土城の大きさをうかがい知ることが
できます。
小学校や中学校の社会の授業で先生の
「もし安土城が燃えずに残っていたら
(織田幕府となり現代も政治経済の
中心として)
今頃はこのあたり首都かもね~」
という言葉は湖東地区の人なら
誰もが聞くことであります(笑)

さて、現場です。

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門を入るとどーんと大手道が
続いています。この道は180㍍ほどの
直線で、この時代のお城としては大変
珍しい形です。
これについては軍事的な面よりも
政治的・権威的な面を優先した、
という説があります。

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その道を越えると、
打って変わって急な石段になります。
写真では急さが伝わらないのが
残念ですが、一つ一つの段が高く、
間にもう一段設けているところも
あります。
ここからもうねうねうねと石段を
登っていき、途中織田信長廟や
二の丸を経由し、たどり着くのが…

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天主台です。
ここまでのんびり歩いても30分くらい
でこれます。
先述の急な階段を登りきるとあとは
緩やかなので、ちょっとした運動気分で
くることができます。
現在の天主台はだいたい40㍍四方で、
当時はこの二倍の広さはあったと
いわれています。

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そしてサミットを極め、
後は来た道を戻るだけ、カンタン♪
だと思っていました。
が、この日はあいにくの雨模様。
しかも閉場間際の時間ということで暗く
戦国時代にタイムスリップしてしまった
という錯覚に陥るほどの雰囲気で、
後ろから
「待ておぬし。何者ぞ」
という声が聞こえてきそうでした。

この安土城がある合併前の旧安土町は
織田信長/安土城を目玉として
観光客の誘致を行っていました。
東海道線安土駅前には
1/20で製作された推定復元天主模型
を目玉とする安土城郭資料館
があります。

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このように二つに分かれるようになっていて、
各部屋の様子も細かく再現されています。
こうしてみると、現在各地に残されている
どの天守とも似つかなく、信長の
先進性や独創性が感じられます。

安土駅前から北へ向かうと、
「近江風土記の丘」があり、
安土城考古博物館や信長の館などの施設が
集まっています。
信長の館には1992年のセビリア万博に
出展された安土城天主5・6階の
原寸復元模型が展示されていますが、
権利の関係でその写真をここで
お見せすることができないのが残念です。
そらもう、キンピカ、ピカピカです。
安土町観光協会サイトへ

考古博物館には発掘に伴って出土した
品々や古代の遺跡などについて
展示されています。
その中には

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こんな展示物(写真上)もあり、現在と
在りし日を比較できるようになっています。
ですから、安土城の後にこの
風土記の丘を訪れることをおすすめします。
「あ~ここはこんなのだったんだー」
と感慨にふけること間違いなしです。

再び安土駅前に戻りますと、
ここには「万吾樓」という和菓子屋さんがあり
「まけずの鍔」が有名です。

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名前の由来は、
桶狭間の戦いの前に、戦勝祈願に訪れた際、
信長が一つかみの永楽通宝を投げたところ
すべて表となり、戦にも勝った。
それ以来信長は刀の鍔に永楽通宝を
彫り込むようになった。
といった感じです。
香ばしい最中と中の二色餡が絶妙な
ハーモニーで、こしあん派の私でも
満足な味でした。
写真は「信長セット」で、
まけずの鍔のほか、「安土もも山」
が2個ずつ入って1050円です。

そんな鍔は、マンホールの柄にも
なっています。

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安土城跡
09:00~17:00(入山16:00まで)500円
安土城郭資料館
09:00~17:00 200円
県立安土城考古博物館
09:00~17:00(入館16:30まで)400円
信長の館
09:00~17:00(入館16:30まで)500円
(博物館・信長の館共通券あり)

ただし、ただいま年末年始の休館中

午の年を迎えましたら、
戦国のロマンを感じにぜひ近江の国へ
お越しください。

One thought on “兵どもが夢の跡@滋賀安土

  1. 全国統一になぜ安土だったのか、ってゆーと若狭湾、大阪湾、伊勢湾の中間地点にあって陸上交通、海上交通の双方の要所だったからなんですなあ。

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