カメラ女子はセーラー服で街を撮ったりなんかしない。
街が主人公の小説を読みたい。
漫画でも映画でもかまわない。
単なる背景としての街ではなく、
それに何らかの焦点が合わさった物語。
最近、私はそのような作品に関心がある。
だけど、これが一体どのようなジャンルなのか、
実は自分自身にもよく分かっていない。
にもかかわらず、漠然とそう考えるのは、
かねてから、ある素朴な疑問に
突き当たっていたことによる。
どうして作家は、始めにヒトから描くのだろう。
そして次に、ヒトとヒトの関係を築くのだろう。
その関係をめぐって、物語が生まれるのだろう。
人間模様という名の「点と線」の絡み合いが、
そこに展開されるのだろう。
このような「図」を描くために「地」が必要だ。
そう、街は「地」なのだ。
それは物語の受け皿である。
器は物語を盛りつけるための前提としてあり、
そうであるがゆえ、物語の主題にはなり得ない。
こうして街は、物語の消失点へ追いやられる。
ふむ、ここで改めて自問してみよう。
ヒトでなく、街を主人公にした物語とは、
はたして、どういうものなのだろう?
分からないけれど、いやそれゆえに読んでみたい。
ジュンク堂の小説コーナーに「街」という
カテゴリーがあれば良いのに。。。
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さて、前置きが長くなった。
他人に長いタイトル禁止とかいっておいて、
確信犯的にやらかしてしまう私(^^;)
いや、そうせざるを得なかったんです。
そんなコミックが、ここにある。
桐木憲一『東京シャッターガール』日本文芸社。
写真部の女子高生がセーラー服で東京を撮る。
ガイド本をそのまま漫画化した感じ。
コラムにはカメラや街歩きガイドが登場する。
確かにこのコミックは、東京の下町などに
焦点があたっている。
だが、今度は逆にマネキン臭い主人公の存在が
気になって仕方がないのだ。
ある種の嫌悪感すら覚えてしまう。
いや主人公だけじゃない、登場人物全員が
まるで血が通っていない人形のようだ。
彼女たちの歯の浮くような台詞もそう。
絵は上手いが、表層的でヒトの体温を感じない。
マネキンが蠢く街に、
風情があるわけないじゃないか。
違う。これは私が求めている物語ではない。
それが私の率直な感想。
キャラクターと風景の魅力は切り離せない。
当たり前だが、そういうことなんだなと思った。
余談だけど、このカメラの構え方もどうなの?
意図的なのかなあ。うーん。。。
そしてこの後、急に二眼レフで撮り始めます。
その行動原理って、、カメヲタのおっさんやん。
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