Multipeer Connection
in “Nearby Commons”
そして世界はトランシーバー化する。

 

ラジオ、テレビ、インターネット。
そしてこれの次にくるメディアは何か?
それはトランシーバーである。
Bluetoothによって、近隣の不特定多数の誰かとつながるためのトランシーバーだ。

ある意味で、これは70年代の無線マニアの時代に逆戻りしているかもしれない。
しかし、現代のデバイスは、声だけでなく、
文字・地図・キャラクターなど様々なデータがやりとりができる。
ただし、従来の無線と異なり、
その通信範囲は10m(Wifiなら100m)とかなり限定的だ。
そして、この限界こそが新しいコミュニケーションの可能性でもある。

果たして、このことが社会や人間関係にどのような変化をもたらすのだろうか。
以下に思いつくかぎり列挙してみよう。

  • 災害時での、サーバーを経由しない地元民同士の避難ルートのやりとり
  • 渋滞時での、近隣のドライバー間での雑談
  • 映画館内での、観客同士でのリアルタイムなコメントのやりとり
  • 満員電車内での、ゲームの対戦相手を模索
  • ある大学の講義での、リアルタイムな学生間での質疑応答
  • あるショッピングモール内での、他の客の購買情報・感想をチェック
  • ある観光地での、他の観光客或いは地元民

これらすべてに共通する特徴は、
コミュニケーションの相手は他人であるということだ。
しかし、この他人は同じ空気をすっている。
つまり、近接空間という同じコンテクストを共有しているので、ただの他人でもない。
ここに全く新しい社会関係の可能性を見出すことができる。

例えば、FacebookもLINEは何も新しくない。
知り合い同士とつながる意味では、黒電話と同じだ。
2ちゃんねるは匿名的なつながり、かつての「混線ダイヤル」の拡大版だ。
しかし、ここには実際の「場」がないので文脈が不安定になる傾向がある。

ならば、LINEやFacabookが「Nearby SNS」のようなものを実装したらよいのか。
否、実名でこれをやるのは危険だろう。
車のナンバープレートに実名を晒して走るようなものだ。
あくまでも2ちゃねる的な匿名性、24時間で使い捨てのID制にして、
個人情報はあいまいにする必要があるだろう。
しかし、それはLINEやFacebookの実名文化と相容れないのである。

上映中の映画館で、あるコミカルな場面で観客たちの笑いがおこる。
他人たちが、ある文脈を介して一つになる瞬間だ。
私が提唱しているメディアの方向性は、
この一体感をさらに持続・発展させることができるだろう。

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