じわじわくるイノベーション。
最近のAppleがリリースする製品の評価について、
「アップルは保守的だね、ジョブスがいたころはもっと革新的だったのに」
なあんていう人が多い。
ほんまかいな。あんたiPhone、4年前に買ってたのかね?
最初期のiPodも買ってたくち?
え?まさかだと思うけどOSはまだマイクロソフトなわけないよね?
といいたい。
そもそもAppleは、ぱっと見だけの、そういう目新しさを追求していないと思う。
デザインが良すぎるので、そう誤解されがちだけど。
使ってみて自然で、誰もがそれが当たり前だと感じる。
そういう「当たり前」の追求こそAppleの哲学だと思うのだ。
ストレスがなく、道具としてつかえることに技術革新のゴールはない。
ものすごいアイデアと労力がそこに注ぎ込まれていく。
しかし、本質的に地味な作業なのであまり注目されることはない。
そして、他社の見てくれだけの製品を使ってはじめて、
それが自明でないこと、技術的に高度で洗練されていることに気づくのである。
10年前、Webブラウザの文字のギザギザがないことが、どれだけ目にやさしいか。
XPの画面を見る度に思い知らされたものだ。
25年前、NeXTのオブジェクト指向の可能性が私にはさっぱりわからなかった。
当時、パソコンの性能は「アフターバーナー」の移植度だと思っていたからだ。
その頃、ジョブスが解雇されたAppleは、高価なビデオカードの力業で押し切ろうとしていた。
クアドラの筐体デザインはまさに建築と呼ぶべきものだったし、
フルカラーの3Dの画面にもびっくりしたけれど、
コンピューター・アーキテクチャへの哲学や美学はなおざりにされていたと思う。
そして今や、快適なWebブラウジングやオブジェクト指向やタッチデバイスなんて至極当然、
まさに空気みたいな存在で、これをジョブスが切り開いたことなんて気にかけない。
「当たり前」を作り出したすごさは看過されがちだ。
むしろ、奇抜な目新しさを追いかけるのは最近のSONYで、
あそこの商品は、実際使ってみるとなんじゃこれ、っていうモノも多い。
たぶん、コレもそうなるんじゃないかなあ。。。スマフォにつけるカメラ。うーん。
一見地味なんだけど、使っていると、もうこれ以外考えられない、っていう、
じわじわくるイノベーションこそ、本当の革新なんだろう。
そういうものを組織だって支えるのは、MBAのテキストではなくて、
そして、もっと本質的な製品アーキテクチャに対する哲学なんだと思う。
ただし、それはなかなか理解されないし、されるにしても時間がかかりますな。
いやあ、これってモノだけじゃなくて、人間関係にもあてはまる、かも?