明智光秀の三女ガラシャが嫁いだお城「勝竜寺城」へGO!
大河ドラマの軍師官兵衛では、明智光秀が反旗を翻し、本能寺の変で織田信長が亡くなりました。私は毎週かかさず軍師官兵衛を見ているので、「うわあぁぁ・・・」と思いながらテレビにかぶりついていましたが(笑)、今回はそんな謀反を起こした明智光秀の三女お玉(細川ガラシャ)が嫁いだお城をご案内したいと思います。
さてさて、JR長岡京駅東口を出て南に10分くらい歩いていくと見えてくるのが勝竜寺城です。
少し奥なので分かりづらいかも知れません。
この日は休日だったので親子連れや熟年カップル(?)もデートに来ていました\(^o^)/
【勝竜寺城のご説明・・・】
勝竜寺城は細川頼春が1339年に築いたと言われています。お城は京都西南に位置しており、西国街道と久我畷を同時に押さえることが出来る交通の要所にあります。その後、戦国時代に織田信長から勝竜寺城を与えられた細川幽斎が立派なお城にしたと言われています。ただ明智光秀が本能寺の変を起こし、その後山崎合戦(天王山)の際に、勝竜寺城は落城したそうです。
入口はこんな感じ。
本丸跡は東西約105m、南北約70mで周囲には堀が作られ、高く土を盛り上げた土塁を巡らせていたと言われています。
2階は展示室になっているので当時のものが展示されています(ちなみに無料です)。撮影禁止だったので写真は載せられませんが。
小学生の頃、写生大会のために勝竜寺城を訪れたことがあったのですが、幼かったので石けりをしていたら管理のおじさんに怒られたことを思いだし、何とも懐かしくなりました(笑)詩吟の発表をしたこともあったような・・・(笑)この勝竜寺城は私にとってもいろんな思い出の詰まった場所でもあります\(^o^)/
こんな銅像もあるんですよ!
細川忠興とその妻である玉(ガラシャ)の銅像です。長岡京市は細川忠興とガラシャの大河ドラマ化を進めていますので、もし数年後に大河ドラマが決まったら、ここ勝竜寺城もにぎやかになるかも知れません。
城内にこんなものまでありました。
「ガラシャおもかげの水」です!地下水100%の水道水なので美味しいらしいです(笑)
長岡京市にはいくつか地下水100%の水道水を自由に飲める場所がありますので、探してみるのも面白いかも!
ぜひ長岡京市へ立ち寄った際はお越しください\(^o^)/
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まだ観てないけれど、三谷幸喜の「清洲会議」のあと、この辺きてもおもろいかもねえ。