中山修一先生のこと@長岡京。
地元の長岡京市が大好きなmiyoです。
長岡京市ってまぁ地味な場所なんです。ほんとベッドタウンです。
京都駅までJRで12分、京都河原町まで阪急で13分、大阪梅田まで阪急で30分。都会に出やすい田舎です。だって夏にはメダカやホタルを見ることが出来る場所なんですよ。
私はそんな田舎で育ってきたので田舎大好きなわけですが、そもそも長岡京って都だったんですよ?いやー知らない人も多いと思います!
古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代→鎌倉時代・・・・
「いつ、どこで長岡京に都なんてあったん?」そう思うのが当然のこと。でも奈良時代と平安時代の間、784~793年までの10年間、長岡京に都があったのです!
その長岡京発掘に貢献したのがこの方!
中山修一先生です。
長岡京市久貝にある中山修一記念館に行ってきました。
入口には、ありました!銅像が!!
こんな感じで・・・中に入っていきます。
入ってすぐに見えるのはきれいなお庭。立派な赤松が植わっていました。落ち着く空間です♡
中山修一さんは勉強のために使っていた部屋を市に寄付したそうです。
中山修一先生はすでにお亡くなりになられていますが、来年が生誕100周年だそうです。
長岡京発掘に尽力された中山先生ですが、なかでも会昌門の地覆石、乙訓寺講堂の根石、再利用した柱、井筒、木簡の発掘は印象に残っている発掘だそうです。
1200年前にあった都を発掘するとか、なんだか意味が分かりませんよね(笑) どういうこと??って感じで、はてなマーク飛びまくりの私でしたが、なかにはガイドの方がいらっしゃるので、分かりやすくご説明頂きました(*^^*) ありがとうございました。
右の地図は中山先生が書かれたものです。実際の地図と合わせて、どこに本殿があったのかなどを解明していったそうです。「蓮池」の跡が見つかったことがターニングポイントとなったようですが、「なんで土の乾き具合で蓮池があったのか分かるの?」って感じで、私はぽかーんという感じでした(笑)
長岡京の発掘に興味がある方はいらっしゃらないかも知れませんが(笑)、歴史には、歴史を解明していった人がいるわけで、その方は脚光を浴びることはほとんどありません。ただ、長岡京発掘に尽力し、人生を捧げた「中山修一」という人がいたことを、頭の片隅にでも覚えておいて頂けるといいなと思います。
アクセスはこちら。徒歩は厳しいと思うので阪急バスをご利用下さい。
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奈良もね、暮らしてみて散歩してみると実際は中世以降の寺や仏像が多いですね。源氏の時代のものが多いです。中世の長岡京とかを探してみるのも面白いかもです。