『インセプション』の街並み。
私の大好きな映画『インセプション』。
日本人俳優が、主要キャラとして出て、
しかも、そのことに違和感がないという
すげえ画期的な作品です。
うんKEN WATANABEは頑張った、
でも日本の風景はダメだった。
劇中ではフランスのパリ(優雅ですねえ、なんか爆発してるけどw)とか
物語の背景として「絵になる街並み」がいっぱい出てくるわけです。
んで、日本はといえば…
節子、それ街並みやない、ただのオブジェや!
ああ、他に撮るもんなかったのかよ。
まあ、ないわなあ。
そもそも日本の風景は趣がないし、
しかも、ギラついたいやらしい個性すらすでに失っている。
アホみたいに近代ビルが乱立したパースならば、
もう東京よりも上海の方がキテるしねえ(Mission:Impossible 3)。
京都もいざ撮るとなると全然絵にならないよねえ。
京都さあ、スタバ大杉だってばさ。
ディカプリオは京都好きみたいだけど。
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んで、余談。
ラストのあのシーン、
コマは回り続けるのか、否か?
ってみんないうんだけど、それ、間違ってるから。
そもそも奥さんのトーテム使ってることが、
すでに狂ってるわけです。
コマの回転具合では、現実/夢の判別はできないのだ。
例えば、ドム・コブが東京のホテルに潜伏しているシーンで、
コマがこけた直後、電話が鳴る。
電話の主は、自分の娘だ。
なんで、潜伏してる日本のホテルに、
アメリカのガキが直通で電話してくんねん?
現実と思っていた世界も夢なんですよ。しかも悪夢。
だって、どうしてリア充な夫婦が人生1回分もの歳月を
夢の世界ですごしたいと思う?その動機は何か?
恐らく、現実の夫婦には子共がいなかったんだろう。
存在しない子供達が待つ”home”への煩悩に苛まれるドム。
義父のマイルズは教室で彼を諭す。
“Come back to reality”
ここからは私見だけど、この物語の真の主人公はマイルズだ。
物語では描かれなかった、さらに上の階層が現実なんだろね。
そこからマイルズがリンボーに堕ちた義理の息子を
救済しようとする話ではないか、と。
つまり、マイルズがドムにインセプションする話なんですよ。
そのために、この「物語」をでっち上げるわけですな。
まるで映画監督みたいにw
マイルズと彼は大学の師弟関係でもあった。
マイルズ教授は、実の娘を殺めた弟子を許した。
夢の中のミッションも「父と子の和解」がテーマになっているでしょう?
その結果、ドムは現世へ戻ることはできなかったけれど、
彼が永遠の悪夢から開放されるインセプションは成功した模様。
ラストシーンのマイルズ。
親子の再会の傍ら、微笑と寂しい目は何を意味する?
むう、ダンテの神曲もそんな感じのオチだったねえ。
キリスト教世界のハッピーエンドって、現世回帰より、
天国にいけることだもんね。
でもラストを不気味に描いるのは、
ニーチェ&ボルヘス的アンチテーゼとも
なっているんだねえ。。。
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さらなる余談。
以上のアイデアを踏まえて、
『インセプション』(2010)と
『オープン・ユア・アイズ』(1997)、
『トゥルーマン・ショー』(1998)の対比が面白いと思った。
現実世界を描くか? | 現実へ戻る? | |
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オープン・ユア・アイズ | 間接的に描写。仮想現実の開発者が登場。 | 主人公の判断にゆだねる。 |
トゥルーマン・ショー | 直接描写する。虚構世界のプロデューサーが登場。 | 現実へ脱出したい主人公を虚構世界に押しとどめようとする。 |
インセプション | 描写されない。現実の存在自体が不明。私説ではマイルズが物語全体の仕掛け人。 | 虚構に囚われた主人公を救済しようとする。 |