デザインについて(まだまだ、めんてちゅう)。

 

さくらサーバーの転送系に問題があるようなので、写真付きの記事が挙げられるまであと数日かかりそうです(T_T)。ま、文字だけのブログもシンプルでいいかも。せっかくだから普段とは違うことでも書こうかなっと。

 

前回はプログラミング言語の持つ「クローズ/オープン」な特性を考えたわけだけど、、、いや、まてよ、人間の言語の一つである、この日本語って、すごくクローズな言語だと最近あらためて思うんだわ。

日本の技術や文化が世界のトップを走っていた時代は、そんなことを意識する必要は無かった。でも、もう日本はアジアの中の一つ、しかもその中でも劣勢な国なんだってことを突きつけられるニュースが日々飛び交うなか、もはや日本語はこの国の文化を守る防壁というよりも、単なる柵(しがらみ)でしかないんじゃないか。

さらに、日本のプロダクト・デザインに関しても日本語と同じ事が起こっている。最近の日本の製品が致命的にダサい、と思わない? デザインも言語だ。日本語と同じく、日本のプロダクト・デザインの文法自体が、世界で通用しなくなっているんじゃないか。企業は、過去の優秀なプロダクト・デザインから学び直す必要があるんじゃない?

例えば、Nintendoの「初代GAME BOY」。あのデザインは傑作だったと思う。それ以降のGBやDSにフォルムとしての魅力は感じない。初代が抜きんでていい。初代は「握る」デザインとして考え抜かれている。むしろ、この筐体ありきで、現代ならそこに何を詰め込めることができるか、ということから考えてもいいんじゃないかな。

デジカメで言えば、OLYMPUSの「初代ミラーレスカメラE-P1」が美しい。レトロとモダンが同居している。中古で1万円で売っているのを見つけると、ついつい欲しくなる。他方、最新のE-P5はダサい。ああいうセンスは過去の資産のパロディでしかない。嗚呼、ここで写真がアップできたらなあ(-_-)。メンテ終わったら再掲します。

「薄い」とか「軽い」とか「レトロ」とか「かわいい」とか「カッコイイ」とか・・・日本では定番のこれらの文法自体が、すでにダサいんじゃないか。そういう単純な切り分けができないところにデザインの妙味があるような気がする。。。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください