精読『ファイト・クラブ』その5。

 

消費社会を風刺した、あの有名なシーン。もちろん小説にもあります。

The people I know who used to sit in the bathroom with pornography, now they know who used to sit in the bathroom with their IKEA furniture catalogue. p. 43

以前はポルノ雑誌を手に便所に腰を下ろした知人たちも、いまやイケアのファニチャーカタログとともに便座に座る。邦訳p. 51

小説版では、爆破された自宅から落ちてきた家具のブランドを列挙するのですが、映画版では爆破される以前に通販で購入しているシーンが挿入されています。その演出もCGを駆使していて、今見ても陳腐に感じないところに、そのセンスの良さがうかがえます。

エリカ・ペッカーリは実在するデザイナーです。
erika

クリスプク、ホヴェトレックは検索しても出てきません。小説にもない。北欧っぽい名前の架空の商品?
hove

オハマシャブも聞いたことない。小説にも出てこない。
ohma

リズランパもしらん。
rannpu
あとはダイニング・セットを買えば すべて完ぺき!
daininngu

正確に言うと、今の水準から見れば少々CGはチープなんだけど、そういう「ちょっとCGくさい質感」ですら、表層的な消費社会の耐えられない軽さとして僕たちは読み込んでしまう。これを打ち消そうとするかのように、記号とコピーの濁流が生まれる。でも、メッセージの氾濫はかえって仮想性を際立たせ、リアルから遠のいてしまう! まさに僕たちが生きる消費社会そのものだ。それゆえに、この作品は今でも新鮮さを失わない。

・・・なぁんてmorimachiなら言いそうだけれど、ふふん甘いな。マーケティングは貧乏くさい消費社会「論」よりも一枚上手だ。「どんなタイプのダイニング・セットを買えば僕は一人前になれんだろう?」という件のあと、食器棚と冷蔵庫を開けるシーンがある。

0:05:27、食器棚のシーン。ここも字幕が貧弱なので、セリフのニュアンスが伝わらない。私の訳だと・・・

「ちっちゃな気泡入りのゆがんだガラス食器もみんな揃えた。それはクラフトワークの証だ。作り方が、誠実で、真摯で、その土地の者による・・・どこであれ・・・」

っていう感じで、高級ブランドや大量生産品だけなく、マニュファクチュア型の小商いですら「誠実で、真摯で、ご当地の」という仰々しいコピーで偽装され、資本主義に再編されることになる。なぜなら、価値の本質は希少性だからだ。モノがありふれた高度資本主義のもとでは、時代遅れなものこそ、むしろトレンドの最先端だ。そのような機会は、まさに「ちっちゃなバブル(経済)」として、社会のあらゆる局所に存在している。

garasu

これに関して、今、奈良には二つのマーケティングが存在している。

その一つに、80年代的バカバブル脳が周回遅れのマーケティングや自治をやっている連中がいる。外人が関空からJR奈良にきて最初に目にするのは「べんきょう部屋」という名のラブホや「愛媛」を看板に掲げた居酒屋だ。奈良三条通は、奈良の暗黒面を象徴するランドマークだ。道幅を広げ歩行者よりも車を優先にする時代錯誤な商店街、ヤンキーのたまり場になっているゲーセン、神の使いであるはずの鹿の剥製をうれしそうにかざる居酒屋、サイゼリアにガスト・・・JR奈良駅から春日大社に向かう唯一の観光客の通りがこの惨状だ・・・

他方、奈良のダサさを「スローな街」としてベタな盛り上がりを企画している連中がいる。ちょっとしたイベントでも、何よりも地元の人が面白がっている。でもぜんぜん閉鎖的じゃない。場所で言えば、きたまちなんかがそうだ。仕掛け人は奈良出身でない者も多い。大阪とか京都に飽きて、外部から奈良を再発見するんだと思う。

さて、話を戻すと、すげえ食器を揃えた主人公が冷蔵庫を開けると、中は空っぽというオチ。中身が無い、体裁ばかりで、空虚な消費、実態を伴わないライフスタイル。この後、主人公はジャム(?)をナイフですくってベロベロなめます。買った皿を使えよ! 今、僕がはまっているのは包丁コレクションだ」

reizouko

ガラス食器や空っぽの冷蔵庫は小説に登場しない。映画では、まるでCGのような(!)近未来インテリアから、匠の伝統工芸品、そして空っぽの冷蔵庫に至り、ここで主人公の惨めなリアルを映し出す。とてもアイロニカルな描写ですね。アイロニカル? これが? 違うね。『ファイト・クラブ』のアイロニーはそんなんじゃない。冷蔵庫のドアを見よ。

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きっちり表を向いた”MENDOCINO MUSTERD”がカメラに収まっている。もちろんセリフには出てこない。ただ黙って、MENDOCINO MUSTERDがこちらを見つめる。その時間、約1秒。タイラーが子供向けアニメに挿入したポルノ、或いはこの映画自体にしこまれたブラッドピットのおちんちんの1/60秒よりも、長時間の露出だ。消費社会をアイロニカルに風刺したシーンでプロダクト・プレイスメント(商品広告)をやってしまうところに映画『ファイト・クラブ』の真のアイロニーがある。

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