「黎明期」は暗黒時代でもある。
今、動画撮影が面白い。ムービーとスチルの境界が曖昧になり、各メーカーがしのぎを削って斬新な製品が登場しはじめている。映像作家にとっても、それは新しい表現スタイルをめぐる黎明期だといえるだろう。
こういう創造的破壊がもたらすワクワク感は、かつての90年代半ばのプレステ時代に似ているかもしれない。当時のゲーム業界は、2Dから3Dへ、実写や生音の採用など、新しいゲームの在り方を模索していた時代だった。
それゆえに、PS1は謎なゲームも多く産み落とされた。しかし、ここで見逃してはいけないポイントは、今となっては「クソゲー」と見なされている作品でも、当時のゲーマー達はそれを目新しさゆえにそこそこ楽しんでいたいた、という事実である。
これは、現在黎明期であるネット動画の世界にも当てはまるのではないかな。2020年、東京オリンピックの頃には、マックス村井やヒカキン的な映像、またそれに追従する有象無象のユーチューバーのそれは「クソ動画」と呼ばれるかもしれない。
個人的には、顔を前面に出して語りかけるあのカメラワークはどうもアホっぽいし、購入した商品の表層的なレビュー動画などは卑しさすら感じる。
また、最新のカメラを使いこなすことは確かに大切なことだが、しかしそこに溺れてしまうと、未来の視聴者の眼には「チープなエフェクト」にしか映らないかもしれない。当時は先鋭的だったPS1のポリゴンテクスチャーに、いまや憐憫の念すら抱いてしまうのと同じ事だ。
これは自身への戒めである。