ジョブス自身が語る映画「Steve Jobs」。

 

ども、morimachiです。

のわあああああああああああああああなんなんでしょうかあああ、このモヤモヤ感わ。
それは隣の大学生カップルのイビキがうるさかったから・・・ではないのです。

この映画に関心がある人は、多かれ少なかれジョブス信者だと思うけれど、
しかし、この映画自体にジョブスのスピリッツを感じなかったー。

ところで、今まで秘密にしていましたが、わたし、霊能力があります。
イタコ歴、6年と9ヶ月です。

なので、天国にいるジョブブスさんを降霊させて、
私の代わりにこの映画を語ってもらいましょう。
あ、日本語訳はmorimachiです。

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いたこインタビュー:ジョブス自身が語る映画「Steve Jobs」。

とにかく全体を通してクソだ。なっちゃいないね。とくに音楽の使い方がヒドすぎる。なんであんな選曲なんだ?曲を挿入する必然性を感じないシーンも多々あった。しかも「ショーシャンクの空に」に似た曲を私は知っているぞ。まったく!なぜ公開前に私をよばなかったんだ。LISAの時のように、たたきつぶしてしてやりたい気分だよ。ところであの主役、腰が悪いのか?おいおい冗談だろ!私がそんな歩き方を?バカにしているのか。そんなくだらんモノマネショーはどうでもいいんだ。私の動画ならYoutubeでいくらでも見れるだろう。なぜ腰の悪い俳優がわざわざモノマネで再現する必要がある?正気なのか?

モノマネではなく、私が何を考えてきたかを描きたかったんじゃないのか?(・・・あまりにもコーフンしてきたたので一時中断・・・)とにかく、そうするべきだったんだよ。そのために作品構成はもっとドキュメンタリーっぽくするべきだったな。例えば、ウォズがナレーターをやるとか。ああ、もちろんこれは役者のウォズだ。オリジナルの方は流暢にしゃべれないからな(笑)。
 

あと映画を見て不愉快だったのは、私が誰と戦っていたのかを理解していない点だ。あれでは、まるで私がアップル社内の企業政治に奔走していたみたいじゃないか!クソだね。そういうこともあったがそれは本質ではない。(日本でも社内政治にあけくれ「倍返し」するドラマが流行っているとつたえた)。

そんなもの!企業がそうなったらおしまいだ。私はソニーが好きだったが、いまのソニーは私が戻る前のアップルとそっくりだよ。iPod成功の立役者は私やアイブではない。ウォークマンをつくったあのソニーが大きくなりすぎて、何一つ身動きできなかったことが挙げられる。これに対して当時の私たちは身軽だった。だからアップルは再び新しい時代の波にのることができたんだよ。
 

私が戦ってきた相手は、アップルの取締役会でもIBMでもマイクロソフトでもない。相手は時代そのものだった。この「時代」のなかにはいわゆるアップル信者も入っていたよ。「時代」とは、既成概念で世界を理解しきった気になっているような連中のことだ。彼らは「さらにその向こう側」があることを理解しようとしない。そこには未来はない。私たちの使命は未来を提供することだった。

でも、古い時代が未来に適応するには時間がかかるんだ。始めてMacを世に出したとき、次にNeXTで再出発したとき、私はそのことを痛感したよ。未知のものが受け入れられるには予想以上の期間がいることをね。でも、決算報告や株主総会で奔走するような企業システムにそんな大局観はない。そして目先の利益に目を奪われて古い時代とともに消えてしまうんだ。私が戦っていた相手はそういうものだよ。
 

キミは自分自身が10年前に考えていたことを明確にいえるかい? 自分のことなのに正確にいえないだろう? 仮にいえたとしても、それはリアルじゃない。それは美化され、都合の良い解釈をともなうからだ。それは私だってそうだよ。だから「スティーブ・ジョブスなる人物は何者だったのか?」なんて尋ねられても私にだってわらない。むしろそのような他人の解釈の総体として、私はあるんだと思う。もちろん解釈には誤解もあるけれどね。だけど、なかには「良い誤解」もあるんだ。

映画に出てこなかったエピソードを紹介させてくれ。MacのOSはゼロックスの盗作だと思っている者がいるけれど、実際はそうではない。当時の私たちはゼロックスのGUIに関してある誤解をしていたんだ。私たちは、ゼロックスのGUIウィンドウがレイヤー化して、それぞれが重ね合わさって表示できると信じ込んでいた。実際はそんなことなかったのに(笑)。私たちは砂漠のなか、ありもしない蜃気楼に向かって走り続けたんだよ。そしてそれが現代のOSのひな形となったんだ。ウィンドウズも含めてね。このように、創造とはなんらか誤解が混ざっているものだよ。それはリアルを超えたなにかだ。そして、それはコンピューターの歴史だけでなく、人物評に関してもあてはまるだろう。
 

私がこの作品を評価しないのは、私に関する一般に流布したイメージをパッチワークしているだけだからだろう。私自身も思いもよらなかったような、この作品ならではの解釈や誤解がそこにはない。つまり創造的じゃないんだよ。そもそも・・・ん?なんだこれはiPad Airか?薄くて軽いじゃないか!だからmini なんか作るなっていったんだよ私は!ところでなんだよこのダサいカバーは、せっかくの薄さとデザインが台無しだろう。クールぢゃない。裸でつかえ!ぽいっ(ちょ、ちょっとーってところで電波状況が悪くなり強制終了)。

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