『火星の人』とアポロ計画。

 

まず『火星の人』ってどんな小説?読む価値あるの?っていう人のために要約しておこう。それは、地球から225,300,000 km離れた『冒険野郎マクガイバー』である。

冒険野郎マクガイバー – Wikipedia.

なに?マクガイバーを知らない? まあ、台所用品で爆弾つくっちゃうようなノリです。「ような」じゃくて、『火星の人』でも実際にそうしていたけどw

道具を本来の目的とは違う形で使う知性は、学校教育の中では評価されない。なぜなら学校とは、既存ルールへ盲従する訓練の場であり、ある道具をその目的通りいかに使いこなせるかを競う場だからだ。

身近な道具を、意味を剥奪した純粋な素材=モノに還元し、その上で新たな道具に仕立て上げる知性は、かなり野蛮でかつ神性な領域に属している。でも現実(とくに平和じゃないとき)ではそういう知性って大事だよね。

トラブルで火星に取り残された主人公は、限られた資源を「節約」しながら生きるのではなく、まったく別の道具へと生成変化させながら、荒野の火星を生き抜くための環境を築いていくのだ。


 

ところで、私はこの小説をアポロ計画を思い出しながら読んでいた。この小説はアポロ13号のトラブルシューティングの火星版と言えなくもない。決定的に違うのは、アポロ計画は史実で、アレス計画(小説の火星ミッション名)はフィクションであるという点だ。

いやまてよ、アポロ計画陰謀論者によれば、アポロ計画も壮大なフィクションのようだ。映画にもなった13号のエピソードは、そもそもがハリウッドライクな物語ではないか。

となると、そもそも人類は月に行っていない!行ってるわボケ!と、いまだにネット上では知的な罵りあいが続いている。個人的には、作者アンディ・ウィアーも、アポロ計画には一家言あるんじゃないかと思っている。

これに関して、アポロ計画をめぐって、NASA公式見解支持派とアポロ計画陰謀論派の両者が見落としている点がある。それは月面着陸・帰還には、次のようなトラブルがあり得た点だ。

  • 月周回軌道までは行ったが、着陸が失敗し、乗組員は即死ないしは餓死・窒息死。
  • 月面着陸は成功したが、離陸が失敗し、乗組員は即死ないしは餓死・窒息死。

ちなみにアポロ10号は謎が多い。ルナモジュールの投下地点が明らかにされていない(公式見解が「行方不明」)。そして、そのたった三ヶ月後に11号が打ち上げられている。本当は何があったんだろう。

アポロ計画の最大のリスクは、月面離発着だったにもかかわらず、映画『月世界の女』がそうだったように、月に行ったが帰って来れなかったのだという陰謀論はあまりない。それは、陰謀論者ですら想像したくない陰惨なシナリオだからだ。「アポロは地球周回軌道しかしていない」と考える方が心理的にもクリーンなんだろうね。


 

引用:『火星の人:』419ページ
怖くてしょうがない。なにか勇気づけてくれるくれるものが必要だ。「アポロ宇宙飛行士ならどうする?」と自問する必要がある。アポロの宇宙飛行士ならウィスキーサワーを三杯ひっかけて、コルヴェットを運転して発射台に向かい、ぼくのローバーより小さい司令船で月めざして飛んでいくはずだ。うーん、あの男たちはクールだった。

ここで主人公は、恐怖心の克服のためにアポロの宇宙飛行士を肯定的に思い出す。しかし、そもそもこいう表現によって言及する作者アンディ・ウィアーは、自信の小説世界同様にアポロ計画が荒唐無稽であることを示唆している。

Apollo-15-CrewCorv

結論。『火星の人』は、アポロ計画の「想像したくない陰惨なトラブル」と「13号の感動ドラマ」と「マクガイバー」を組み合わせた物語だ。ある意味、アポロ計画の胡散臭さをモチーフにしながらも爽快に展開するストーリーは、健全で前向きなピーター・ハイアムズの『カプリコン1』だと言えなくもない。

あと、小野田和子っていう人の翻訳センスもよかった。この人が『ニューロマンサー』を新訳したら、だいぶイメージが(良い意味で)変わるんだろうなあ。あ、「かせいのひと」を「仮性の人」に誤変換してしまった・・・なんか、うーん、クールじゃない・・・

 

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