ぱらのいあ、ぱららっくす。
どんなに美味しい珈琲を深夜に飲んだって、自分でも「はっ」とするような良いアイデアが頭に浮かんだ試しなどないじゃないか。徹夜はダメなんだよ。むしろ、そこは甘ったるい梅酒を二口飲んで、だららんと10時半にベッドに潜り込み、「はっ」と目が覚めたら窓はまだ薄暗く、うへぇめっちゃ寒いやん紅茶でも飲みたいやん・・・ねえ紅茶入れてよハニーって思ったらハニーは夢の中やったわーい、しかもティーパックも切れているやないか!だらー!
ちぇ、コンビニいくか、という次第で奈良公園あたりを散歩しているまさにその時にこそ、良いアイデアが浮かんだり、これまで考えてきたことの整理ができたりするものです。こんな単純なことをなぜ強調しないといけないのかっつーと、往々にして早朝のクリエイティブ・テンションは記憶に残りにくいという点があるからです。その日の昼頃になれば、そういえば朝、なんかいいアイデア浮かんだんだけど、それがなんだったのかは思い出せねー、ってなるんです。たぶんそれは偶然ではなくて、脳の中でアイデアが活性化しているとき、記憶を司る海馬がまだ寝ぼけているからなんでしょうねえ。
ででで、おいらはここに書き留めておくわけですよ。かねてから私は、社会学者スタンレイ・ミルグラムの「親しい他人」The Familliar Strangerという概念に関心があって、これは新しいソーシャル・ネットワーク・サービスを考える際にヒントの一つになると考えていました。ミルグラム曰く「朝の駅のホームとか、他人だけど顔を知っている人たちがいるよねえ」。私としては、次世代のSNSはこーゆー「親しい他人」とコミュニケーションができるメディアなんだと思うのね。ただ厳密には、ミルグラムの定義だけではダメなんじゃないかしらん。
ミルグラムの「親しい他人」は、慣習の産物だと言える。同じ時間、同じ場所に、何度も出くわすことによって、他人だけど「親しさ」が生まれるのだ。この意味でオリジナルの「親しい他人」は「慣習型」だと言える。
私は慣習型の「親しい他人」概念をさらに拡張して、他のパターンを探りたいと思ふ。これすなわちFamilliar Stranger 2.0 なり。特段、時間がかからなくても、私たちは常に「親しい他人」モードに入る機会に開かれているではないか。
例えば、千日前のジュンク堂はNMB48のファンが集っているが「●●ちゃん押しの人、集まれ!」的なノリで、年齢や社会的立場の異なる他人同士が即興的につながっているあの光景、これもまた親しい他人達の集いではないか。つまり、何らかの思想を共有していれば(そしてそれがマイナーな存在であればあるほど強力な紐帯を形成する)、そこでは慣習的な時間は特に必要としない。
上述の例は、内面的な思想に関わるものだったが、もっとドライな繋がりもある。これも先のNMBオタクの別行動で説明可能だ。彼らはアイドルのブロマイドを交換しあったりするわけだけど、あれは沈黙交易の現代版としか言いようがない。私が欲しいものを彼が持っていて、彼がほしいものを私が持っている。取引相手をどうやって見つけるのかは既存のSNSを使ったりとか結構ぐずっているようだ。もしこれを支援するような近接通信型のSNSアプリがあれば?どうなるんだろう? Fire Chatではダメだ。あれは文字ベースだし他人の評価ができない。だから、あれは単細胞な集合体しか生み出さないし、結局のところ暴動しか起こせないんだよw
最後に、非対称な繋がりのパターンがある。それは「慈悲」だ。コミュニケーションは対話者の対称性が基本となっているけれど、非対称なコミュニケーションも重要だと思う。「困っている人に手を差し出す」というモラルは、立場の壁を越えた繋がりを産みだすパワーを持っているからだ。3.11の時、どーして赤十字なんかに寄付してしまったんだろう。もっと事情がある家族に直接お金を渡したかった、と思った人は多いはずだ。みんな寄付はするけれど、それがちゃんと使われたのかどうかをモニタリングしている人は少ない。だから火事場の詐欺が横行する。しかも政府ぐるみでね。こういう問題も次世代SNSが担うテーマだと思う。
まとめておこう、一般的に「親しい他人」は慣習的な長い時間を経て生み出される人間関係だが、ある条件を満たせば即興的にこれが形成されることがある。その条件とは、
・内面的な思想共有
・合理的な取引行為への誘因
・慈悲に根ざした施し
である。こういったことはすでにインターネット上で常態化しているようなコミュニケーションだ。これ自体は新しいことではない。しかし、これがWeb上の遠隔コミュニケーションではなく、地理的にも近傍Nerbyで繰り広げる情報空間Commonsで繰り広げられたら? あちきはここに新しいコミュニケーションの可能性があると思うのね。最近「Nearby Commonsって何ですか」って聞かれることがあるんだけど、それはねえ、「親しい他人」をめぐる実存哲学と社会実験と情報工学の交錯点なんだにゃー。にゃ? Near!
photo: OLYMPUS E-P5, 75mm F1.8