京都の広告【その5】。

 

京都の広告規制は、街並を大阪みたいにごちゃごちゃさせないという意味では、それなりの効力を持っている。けれども、それは先進国の水準からみて有効な観光資源を育てるような類いのものではない。

京都の四条には三つの顔があると思う。京都市民のプロムナード、他府県からの観光、そして海外からの観光としての顔だ。京都の街並は、最後の外人向けの顔が破綻している。こーゆーことは日本でくらしている限り、なかなか気づくことができない。そんなに悪いかな?とか思ってしまう。しかし実際、悪いのだ。

・・・したがって、海外からの観光が京都の財政に大きな影響力を持っている以上、京都の街並再生は、そもそも看板の色の規制なんてレベルでは済まされないはずだ。

例えば冒頭の写真ように、「ハデな看板がダメで、立て札持つ男がアリ」だなんて奇妙な話だ。さらに景観を追求するならば、市バスや近鉄のバスのデザインも景観にマッチしていない。「そこまでいうか」と思うかもしれないけれど、観光資源とはそういうもんです。

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さらなる本質論として、広告を規制しようがしまいが、そもそも四条の街並はアーケードでイソビスタが遮られていて街並が見えない。通行人にとって、空はアーケード、サイドは自動車がびゅんびゅん走っている。そして、個々の建造物はアーケードで上下に分断されているので、通行人は建造物の全体像をつかむことが出来ない。

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ガラスなどを取り入れてイソビスタを回復しないかぎり、四条通は狭苦しくて息苦しいストリートのままですね。

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