京都の広告【その4】。
また改めて紹介しますが、アレックス・カーという日本好き外人が書いた『ニッポン景観論』がとても面白かったです。カラー写真も多いので、納得しながら日本の街並みのクソさ加減というものが外人目線で理解できるのではないでしょうか。ま、京都なんて観光としてがっかり都市なんですよ。いつの日かの「Japan as NO.1」のなかで未だうぬぼれている日本人は、はやくこのことに気付くべきなんですけどねえ。。。
その本の内容は、この記事に近いです。さて、京都の広告の話なのですが、私は別に京都が古めかしくなれば良いと思っているわけではありません。四条通は繁華街なので、電光掲示板にしたって、結果として優雅な賑わいが演出されていればそれで良いと思います。しかし、京都の広告規制は、街並みにとって美とは何であるのか、今後どうあるべきなのかという本質が考慮されていません。形骸化した規制が杓子定規に適用されているだけです。
例えば、去年まで存在した四条のパチンコ屋の風神・雷神のイルミネーションは、なかなか上品で外人もよく写真を撮っていたランドマークの一つでした。
しかし、この看板も今や撤去の対象となり、もっさい壁面が剥き出しとなりました。こうなると単なる田舎のダサいパチ屋でしかありません。伝統とハイテクが上手く共存できるところも京都らしさではなかったのでしょうか?
その一方で、大丸のビルに場違いなちっちゃい電光掲示板が掲げられ、読みにくい文字がしょぼしょぼと流れいます。しかも、こんなところの看板、誰も見ません(ってか視野には入らない)。老舗の百貨店なのに、なんなのでしょう。いろんな意味でアホっぽいわけです。
他にも気になった店舗があります。コレ、確かに法的にはOKなんでしょうけど「高価買い取り」とか、なんかセコいじゃないですか。そもそもほとんど無意味なメッセージです(うちは高価では買い取らないです!なんて言う店は存在しませんから)。ちゃんと店名だけで勝負しろよな。
前にも書いたけど窓にさあ、自社のポスター張り出したりとかね(規制対象外)・・・大企業のクセにやること大人げないわけですよ。