「つまむ」というデザイン感覚。
ATOK2014を買った。
インストール・メディアはUSBだった。
最近のメディアは薄い。そしてちっちゃい。
いつからか、情報は「つまむ」ものと化した。
なくすやん。
自分の部屋のなかですら、
なくすやん!
で、箱だけスカスカで大きいという皮肉。
箱はファミコンのカートリッジよりも大きい。
私たちは「にぎる」ことができるメディアを
どこかで求めている。
おとさない、なくさないメディア。
身体感覚の延長線上にあるメディア。
それらは「つまむ」のではなく、
「にぎる」メディアでしか成し得ない。
ま、そーゆー意味では下の外付けのSSDなんかは、
ファミコンっぽい、かな?
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