ミッキーとマリオ。
ミッキーマウスの過去作品の著作権が切れたので、最近カフェやバーなどで1930年代の作品が流されているのをよく目にします。時代を超越した、その滑らかで躍動感ある動きに感嘆します。と同時に、最近のゲームのモーションがいかにダメなのかということを痛感させられるのです。
任天堂は改めて、クラシックなミッキーを観るべきだと思います。例えば、スーパーマリオは確かに、ディズニーがアニメの世界でやったことをゲームの世界で上手く再現してみせました。キャラクターが飛んだり走ったりするコミカルさは間違いなくディズニーの影響を受けています。しかし、私は最近のスーパーマリオに不満です。それは土管に入る(出る)シーンに象徴的です。どうしてあんな無機的なアクションで土管に入るのだろう。
もしミッキーが土管に入ろうとすれば、まず顔だけのぞきこんで、そしてそのまま滑り落ちるように入ってしまうだろう。また、土管から出てきたミッキーは顔がススで汚れていて、これを払いながらゲホゲホするかもしれない。そもそもあの微動だにしないマリオの帽子から疑うべきなのです。確かに8bitのスーパーマリオではやりたくてもできなかった演出だけど、現在なら朝飯前でしょう。ここに技術よりも本質的な、哲学や美学の問題が横たわっているのです。
任天堂だけでなく、現代の多くのプログラマーやデザイナーは「原点」に還るべきだと思う。確かにキャラクターは映画の俳優のようにリアルになった。でもキャラクターが壁に向かって歩いて、そして突き当たっているにもかかわらず歩みを進めようとする動作は「一種のバグなんだ」という認識が未だに欠けている。初期バイオハザードから何も進化していない。
壁にあたってもなお進行方向のキーが押されていた場合のアクションが欠落している。その時、壁に手を当てたり、さらにキーが押されていれば耳を当てたり…と様々なアクションがあり得るだろう。これらは単に演出上の問題だけでなく、ゲームシステムの多様化にも貢献すると思うんですよね。