網状資本論2@ゾンバルト。
日本ではヒトラーの『わが闘争』は簡単に入手できるが、ウェルナー・ゾンバルトの書物はやや入手が困難である。ゾンバルトの友人であるマックス・ウェーバーが社会学の古典的地位を獲得したにもかかわらず、WW2以後、ゾンバルトの名は学説史から抹消されてしまう。それは晩年のゾンバルトがナチを支持したことに因る。ウェーバーはナチが台頭する前にこの世を去っていたので、イデオロギー的にクリーンさを保つことが出来た(しかし、これは個人的見解だが、もしウェーバーが長生きしていたら、彼もナチを支持していたのではないかと思う)。
ゾンバルトは、マルクスが扱い損ねた資本のより非合理な側面に注目する。一言で言えば、それらは、
「恋愛」「戦争」「ユダヤ教」「道路」
などに集約される。このように書くと彼が軽薄な学者だと思われるかもしれない。しかし彼の着眼点や議論は、後世の社会科学の様々な概念のルーツとなっている。ただし、このことが学説史から消去されているので馴染みのキーワードがゾンバルト由来であることはあまり知られていない。例えば「恋愛」は、アメリカの社会学者ウェブレンの「見せびらかしの消費」conspicuous consumptionに通じている。また「戦争」は、フランスの哲学者バタイユの「呪われた部分」を連想させるものがある。
さらにゾンバルトは、資本主義の由来を、ユダヤ民族特有の経済感覚にもとめた。ゾンバルトが描いたユダヤ人の企業家精神というアイデアは、そのままアメリカに亡命したシュンペーターによって継承・展開されることになる(宗教色は消去されての上でだが)。
マルクスと同様に、ウェーバーは工場をモチーフにした産業資本とキリスト教(プロテスタント)の関係を論じた。これに対して、ゾンバルト関心は領土を越えて展開される交易ネットワークにある。このネットワーク構造が動的に変化していくところに歴史が存在するのだ。マルクスが前時代的なものとして描いた「価値は共同体と共同体のあいだに生まれる」という商業資本主義の在り方こそ、ゾンバルトのポスト資本論ではむしろ中心的存在となる。この意味で、マルクスの商業資本論的転回を図る柄谷行人は、ゾンバルトを再評価するべきだったと思う(少なくともドイツ国内ではウケただろう)。
最後に、ゾンバルトが地理学や交通網との関係から経済や歴史を見ようとした点も、先見の明があったと言えるだろう。事実、ゾンバルトの書物は、フランスの歴史学者ブローデルに影響を与え、アナール学派形成にも寄与することになる。