網状資本論1@マルクス。
剰余価値説とは、周知の通りカール・マルクスの『資本論』で扱われた概念である。これのモチーフは、マルクスが亡命したイギリスの縫製工場だと言われている。そこでは、労働者たちが一律にミシンで黙々とジャケットと作っていた。まるで彼ら自身が縫製機械の一つの歯車であるかのように。
ミシン(マシーン)と人間が一体となった新しい労働環境を前にして、マルクスは労働を定量化できると考えた。そしてこれこそが資本の源泉だと見なすのである。
けだし、労働が計算できるという発想自体は、いわゆる「マルクス経済学」の十八番だが、実は後のアメリカ経営学のそれにも近い。マルクスは科学的管理法を先取りしていたと言える。だがいずれにせよ、このような前提のもとで些末な剰余価値論を詮索しても、それはありきたりで退屈なものとなるだろう。
本来、マルクスの魅力は、価値の神秘性を捉えようとした点にあった。確かに当時の感覚からすれば、均質で機械化した労働は新鮮だったに違いない。ただし今となっては、それは目新しいことではない。
むしろ重要なのは、そのような労働環境が整えられるきっかけとなった産業革命である。価値の神秘性は産業革命の成立条件に潜んでいる。
イギリスの産業革命は、膨大な富がこの国に一極集中したからこそ達成できた。そして、それは重層化した三角貿易と関係が深い。しかもそれらが扱う商品は極めて特殊だった。奴隷とアヘンである。
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奴隷について。マルクスは労働者の富の搾取可能性を説いたが、労働者以前の労働者=奴隷については何も語らなかった。だが三角貿易が示すように、資本(剰余価値)の本質は、労働という商品ではなく、人間そのものを商品化するところにある。マシーン化した人間こそ最大の剰余価値を生むのだ。最新の人工知能を実装したアンドロイドを製造するよりも、生身の人間を機械のように教育する方が安上がりであるように、現代でもより巧妙な奴隷産業が蔓延っている。
アヘンについて。いかなる経済理論においても、ある商品の効用や使用価値はゼロかそれ以上だと想定される。しかし、麻薬の価値は、使用した瞬間の快楽は無限大でその効用は最大となり、しかし長期的には体を蝕むので効用はマイナスとなる。酒もその部類に入るが、酒の製造にはノウハウを含めた高い製造コストを伴うこと、使用価値の振れ幅は麻薬ほど大きくないことから、酒はまだ通常型の商品だと言える。
アヘンで辛酸をなめた中国がいちばん良く知っているように、麻薬は買い手にとって不思議な薬草でしかないが、売り手にとっては最終的にその国そのものを滅ぼす兵器なのだ。
マルクスが扱った剰余価値はあくまでも産業革命後の労働システムに限定されたものだった。しかし、そもそもこれを可能にしたものは、国境を越えた交易ネットワークをめぐる、価値の特異点とも言うべき奴隷と麻薬だったのだ。これらの方が資本の不気味な本質に迫っているように思われる。