物語、ドキュメンタリー、そして悪夢。
そんなこんなで『アクト・オブ・キリング』を元町で見たのです。で、感想ですが、退屈な映画だったけれど、最後まで飽きませんでした。ふむ、そんな映画です。カスな映画ってエンドロールで退出する観客が目立つけれど、会場が明るくなるまで誰も席を立たなかったので、他の人も肯定的だったのかなあ、と。
この映画は「インドネシアのある大虐殺を再現する映画」の製作過程を描いたドキュメンタリー(?)なんですね。いや括弧に?と書いたのは、どこまでが事前に計画された作品なのかはよくわからなかったから。過去に共産党員を殺しまくったプレマンと呼ばれる、やくざの組長が実際に過去の自分を演じながら、メイキングで懺悔するというヘンな映画です。
映画作品としては、物語とドキュメンタリーの二重性を持った、いかにもインテリが好きそうな構成になっていて、まさにこういうところが飽きさせない部分だったと思います。でもね、この作品の本当の見所は、村が焼き払われるシーンを撮った後、撮影が終わっているのにエキストラの子役たちがまだ泣いているところです。そういうカットに、インドネシアの政治事情を超えて、そして映画とメタ映画という垣根をも超えて、より抽象的な暴力が憑依している。
あと、主人公の夢にでてくる(物語内の)悪魔ですが、その悪魔を演じたのが、とある記者だったのも示唆的でした。この記者は虐殺への関与を否定します。彼は虐殺が自分の職場で起こっているなんて知らなかった、という。しかし、それはあり得ない。過去と向き合う組長が悪夢でうなされ、きれい事を言う記者がその悪夢で悪魔を演じているのは意味深ですね。
しかし、この作品内でもっとも悪魔的なのは、デブのおっさんなのです。コイツは、唐突に女装して踊ったり(でも笑えない)、組長の首きって肝臓たべたり(でも怖くなくい)、なんなんだよ、てめーわ!というツッコミもなく、徹頭徹尾シュールな不気味さを醸し出しています。このクセになるウザさは、まるでニコレットの悪魔を連想させます(私だけですかね)。
撮影終了後のエキストラの涙、デブのおっさんのパフォーマンスといった不条理や悪夢は、物語/ドキュメンタリーといった二分法さえもゆさぶり、狂わせる。この作品、実は内容以前に手法が映画界のトップのその先をいってますよ。私の評価としては、これ、デヴィット・リンチを超えているねw 表向きは社会派のドキュメンタリー映画ですが、『マルホランド・ドライブ』とか、あーゆー映画が好きな人、アリだと思いますよ。