建築とわびさび。

 

観光ガイド本がつまらないのは、記事の内容が食べることばかりだからだと思う。その町の建築家の声や思想で、街を語っても面白いと思うんだが。メンテ中に「町記者」の話をしたけれど、「町建築家」は事実存在する。にもかかわらず、なかなかこの人たちにスポットがあたらない。ならねこは、そういう方向性も模索したいなーと。

さて今回は、奈良の建築を、その構造や形だけでなく、色彩やテクスチャーという観点から見てみよう。下の写真は、トイカメラLC-Aでマジメ撮った、興福寺の五重塔です。おおジャパーン、心のふるさーと、伝統を感じさせますな。

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でも、これができた当時の建築はこんな色じゃなかったはずだ。柱はバキバキの朱色と白壁で、青空と緑を背景にものすごくキラキラしていたんだ。たぶん。ひょっとしたら、予想以上にもっとケバく、ギラギラだったかもしれない。

私たちがあるものを指して「伝統的である」というとき、それが単に古いというだけでなく、その時代から現在にいたる過程それ自体が、「伝統」に関する私たちの美意識に多分に影響を与えていることも認めなくてはならない。

一言でいえば、この五重塔は修復作業を何度も重ねているにも関わらず、柱は朱色に塗り直さないのはなぜだろうか。私たちの美意識がそうさせるのだろう。だが、その美意識もまた歴史的産物だということには、案外疎いのだ。

室町に再建されたこの五重塔を見るにしても、江戸時代に芽生え、明治で形式化された「わびさび」というフィルターを介して、「伝統」を認識している。他方、来月から公開される宇治の平等院は、まっさらのサイケデリック建造物として「伝統」を誇示することだろう。これもまた先行き不透明な現代の末法思想から生まれた、一つの表象だといえる。

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枯れたものへのあわれは、近代建築ですら意図せざる結果として起こっている。例えば、片山光生の奈良県庁やその隣の文化会館は、当時は真っ白だったと思う。それが、金のない奈良県の放置プレイ的建築保全活動のおかげで、当時の姿のまま残っている。しかし同時に、壁面はかなり汚れてボロボロだ。

文化会館のコンクリート
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奈良県庁
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でも、これをダメージや「風化」WEATHERINGとしてではなく「風合い」として考えることもできる。いまさら、真っさらな平面に戻されても、なんか違うような気がする。さっき言ったように、「伝統」とはそういうものだからだ。

これに関して、「白の建築家」として知られるルコビジェは、インドのチャンディーガルでの建築において、気候や風土を考慮して最初からわざと荒いコンクリートをしたという。そのような建築は、まるでジーンズのように、時間と共に成長し、終わりなき「仕上げ」FINISHを竣成させるのだ。

 

参考:モーセン・ムスタファヴィ&デイヴィット・レザボロー『時間の中の建築』鹿島出版会、2800円。

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