「町記者」という職業について(只今めんてちゅう)。

 

さくらサーバーの転送系に問題があるようなので、写真付きの記事が挙げられるまであと数日かかりそうです(T_T)。ま、文字だけのブログもシンプルでいいかも。せっかくだから普段とは違うことでも書こうかなっと。

ちょっと美化されてるけどさ、町医者って「おばあちゃん、元気ー?」とかいって、田舎のばーちゃんとかを来診したりしている、そんなイメージ。町医者は、大病院みたいな精密検査はできないけれど、病院の外でもいつも患者と顔を合わせているから「暗黙知的診察」が出来る。ある意味、そっちの方が精密かもしれない。

いかにもドラマにありそうなシチュエーションだけど、私の叔父が医者やっていて、おばあちゃんが「頭痛いねん、カゼやねん」とかいってたら、それをぱっとみて叔父曰く「それ髄膜炎の症状やから、精密検査してこい」と。精密検査後、緊急入院でした。医者が日常的にその人を知っていることって大事だと思ったね。

で、医者の話なんかどーどもよくて、記者の話です。町医者ならぬ町記者の話。マスコミとか必要最低限で良いと思うのね。奈良新聞ですら大マスコミです。もっともっとローカルで局所的な町のニューズ。そういうのは関西ウォーカーとか市民だよりみたいなもんだろ、と思ったあなたは鈍いなあ。。。

関西ウォーカーなんて、なんにも伝えていない。もの喰うことしか頭にないのか? 市民だよりもつまらない。っていうか面白さなんか追求するべきでないとすら思っている。この前のSAVVYにしたって「この店の主人は、ここで何を考えながら生業立てているのか?」っていう商人の哲学に関心が無い。そういうマイクロな商人の哲学の集積こそ、その場所の魅力だというのに。もうちょっと奈良に引きつけていうと、「NARASIA Q」も「ぱーぷる」も「ならら」もみんな、私にとってすごく不満なんですね。

だけど、これらに代わって、そういうものをちゃんと伝える役割を請け負う人がいない。そして意外にも、店主達だって、あわただしい日常のなかで、店内に束縛されているので、店の外で何が起きているのかをよく知らなかったりする。だから、各商売人たちの声や知をパッチワークして、地べたのソーシャル・ネットワークの密度を高めるには、平日の店舗をふらふら取材?している町記者が欠かせない!と思うのだ。

「おばあちゃん、元気ー」とかいって、平日の昼の喫茶店で仕事するサラリーマンがいてもいい。彼はサラリーマン兼、町記者だ。一人旅の女子大生がいたとする。単なる観光でもなく退屈な大学のフィールドワークでもない。もし彼女がその界隈の魅力を引き出せたのならば、彼女は学生でもカメラ女子でもなく、まぎれもない町記者である。

ミラーレス一眼とPCとインデザインと好奇心があれば、みんな町記者じゃないか。町記者は、大手出版社には真似できないゲリラ的土地勘と日常への愛で対抗できる。

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