精読『ファイト・クラブ』その1。

 

なんとなくamazon内をネットサーフィンしていたら、不意に『ファイト・クラブ』が読みたくなった。だけど日本語訳は「絶版」の表示。ますます読みたくなった。そこで中古のハヤカワ文庫を1500円くらいでポチる。周知の通り、この小説を下敷きにした映画版は、ブラッド・ピットとエドワード・ノートンが怪演し好評を博した。私の中で「何度も見たくなる映画」というジャンルがあって、『ファイト・クラブ』もその一つである。泣きどころがない、ストーリーがない、オチもない、そんな映画を私は何度も見てしまう。

いきなりネタバレだけど、二人は同一人物だった。イカれた二重人格野郎でした。ちゃんちゃん。ってことなのだけれど、映画版はそこに力点を置かなかった。二重人格というオチを知りつつ見てもなお、タイラー・ダーデンは妄想ではなく実在するんじゃないか、いや実在してほしい!って思わせるように作ったのがエライ。もし、他の監督がこれを制作していたら、「実は二重人格」というオチを重視するために、タイラー・ダーデンはもっと抑圧的な演出になっていたと思う。

ラストシーンにて。実はね、彼は「ぼく」自身でした・・・そんなチンケなオチ、どんなに整合的に描いたって、ただのB級映画じゃねーか。映画版のタイラー・ダーデンは単なるイリュージョンではない。映画における二重人格という設定は、最終的に「ぼく」が二重人格を克服して、タイラーになるための伏線でしかない。

小説版ラストシーン。
職場のビル爆破は失敗。そこで「ぼく」は自殺を図るも、それも失敗。刑務所でふぬけになった「ぼく」はそこを天国と勘違いしてエンド。完全読解ファイトクラブを書いた人が誤解しているところだ。

映画版ラストシーン。
拳銃自殺を図ったが銃弾が脳や動脈をそれて、首を貫通するだけにとどまる「ぼく」。Trust me. Everything’s gonna be fine. 爆破を止めようとしていたはずの「ぼく」は、翻ってこれを肯定する。人格がタイラーと統合されたのだろうか、或いはタイラーそのものに? いづれにせよ「ぼく」の冷静な狂気を垣間見せる瞬間だ。その直後、目前の金融ビル群が制御解体により崩れ落ちていく。最後に恋人と手を繋ぎながらこれを見守る二人。そして、彼らのいるビルも爆破される?画面が揺れてアレが見えてエンド。

名称未設定

・・・その後、パラニュークの小説『サバイバー』とフィンチャーの映画版『ファイトクラブ』のラストシーンを組み合わせたような9.11が発生し、この映画は黙示録となる。事実は小説より奇なり。でも9.11は明らかに『ファイトクラブ』のパロディだった(1997年に著された小説版『ファイトクラブ』は、1995年のオクラホマ連邦ビル爆破事件、つまりホームメイド・テロリズムのパロディだった。また、あの事件に映画『タクシー・ドライバー』を連想した者は少なくないはずだ)。小説家は事実より奇なり。監督のフィンチャーは9.11直後にFBIに呼び出されて、マジメに質問されたそうだ。おまえがテロリストなら、次は何を狙う?

その2のためのメモ
固有名詞、宗教、ビル、マーラ

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