眼のリアル。

 

ギリシャ彫刻はリアルだ。
しかし、造形的なリアリティの追求は、
瞳に黒眼をいれることを許容しなかった。
物理的に黒眼と白眼の境界は存在しないからである。
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その結果、ギリシャ彫刻は、
躍動感のあるボディに死に顔という、
奇妙なバランスとなっている。
みんながギリシャ彫刻を好むのは、あの体温の無さにある。
そして、その本質は「白目むいてる」ってことに行き着くのだw

ギリシャ彫刻は、東方へ伝播するにつれ、
ヘレニズム文化やら中国仏教のなかでディフォルメされていく。
要するに、黒眼が「穴」や「線」として表現される。
トルコですらこんな感じ。写真は拾いもの。
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その結果、彫刻の造形的リアリティは薄れ、
記号的レリーフへと転換される。
黒眼を描くことによって、表情を得る代わりに、
他方で造形的リアリティを諦めなくてはならない。
下は中国?の大仏さん。なんかコミカルじゃない?写真は拾いもの。
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こういう問題の解決策なのかどうか知らないが、
鎌倉時代の仏像は頭をくりぬいて、裏から水晶を入れている。
眼のリアリティの追求は、そのまま神々しさの度合いにもつながる。
この技法を「玉眼」と呼ぶらしい。
冒頭の写真は私のもの。なぜかLOMO LC-A+で撮影。
木の彫刻と水晶の組み合わせが為せる技だろう。

反対に、同時代の南大門の金剛力士像が玉眼ではないのは、
それはそれで正解な気もする。
以上、「眼」という観点から、彫像を見なおすのも悪くないかもよ。
仏像なら、奈良国立博物館のB1がオススメ。タダだし。
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追記:
10年前、神戸で「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」
なんかやっていて、そこで私はこんなことを考えていたっけ。

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