「誰も描けない風景画」
はじめまして、naomiです。
皆さんの記事を見てみるとカフェとか外出先の話が多いなぁと思うんですが…
わたしはおしゃれなカフェにも特別記事にできるような場所にもあまり行かないので
どうしたもんかなーなんて思っていました。
そこで浮かんだのは音楽。やっぱり大好きな音楽の話題が一番自分らしいと思いまして、
私が担当させていただく記事では『○○な時に聴きたい曲』の紹介をしていくことにしました!
音楽なんか興味ねーよという方も、適当にでも目を通していただければ幸いです。
今回は第一回目ということもありまして、わたしの一番お気に入りの曲を紹介します。
ムスタング/ASIAN KUNG-FU GENERATION
収録作品「未だ見ぬ明日に」
この曲はボーカルの後藤正文さんが漫画「ソラニン」にインスパイアされて書き下ろした曲で、
その関係でアジカンが映画ソラニンの挿入歌「ソラニン」を作るといった経緯にいたったようです。
ソラニンの漫画や映画を見たことがある人はお分かりの方も多いかと思いますが
今回のテーマはズバリ「失恋したときに聴きたい曲」です。
第一回目から辛気臭いですが、一番好きな曲なのでここは譲れません。笑
歌詞はざっとこんな感じ。
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偽りはない 虚飾などない
もともとはそんな風景画
絵筆を使い書き足す未来
僕らが世界を汚す
彩りのない あまりに淡い
意識にはそんな情景が
忘れられない いつかの誓い
それすら途絶えて消える
頬を撫でるような霧雨も強かに日々を流す
君は誰だい
ガリレオ・ガリレイ?
誰も描けない風景画
何が正しい 何が悲しい
僕らが世界を汚す
偽りはない 虚飾などない
そんな冗談は言うまいが
誰にも言えない いつかの誓い
それだけが僕の誇り
鮮やかな君の面影も僕は見失うかな
窓を叩くような泣き虫の梅雨空が日々を流す
嗚呼… なくす何かを
ほら 喪失は今にも口を開けて僕を飲み込んで
浜辺で波がさらった貝殻
海の底には想いが降り積もっているんだ
偽りはない 虚飾などない
もともとはそんな風景画
忘れられない 君との誓い
それだけが僕の誇り
心映すような五月雨もいつかは泣き止むかな
頬を撫でるような霧雨が強かに日々を流す
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この曲は大切な人を失った悲しみの歌で、
何回か雨の表現が出で来るんですが、それはきっと涙のことでしょう。
もともとは綺麗だったけど
汚れてしまった、正確には汚してしまった世界。
だけれども、君との誓いだけは忘れずに
今もずっと僕の誇りになっている。
一番最初の「霧雨」は
君との約束を守れなかったという悲しみで粛々と泣いて
次に出てくる「泣き虫の梅雨空」は
鮮やかだった君の姿を失ってしまった時の終わる気配のない激しい悲しみ
最後の「五月雨」は
激しい雨(深い悲しみ)もいつかはなくなっていくのか
そうなるとまたじめじめとしたもやもやとした「霧雨」が現れだした。
そんな風に読み取ることが出来ます。
実は私は今回調べるまで歌詞の意味がちんぷんかんぷんで、
理解できる部分はごくわずかでした。(というか歌詞の意味なんかあんまり気にしたことなかった。笑)
それでもメロディや曲調、ボーカルの後藤さんの切ない歌声なんかで
それはもう感動しまくって、初めて音楽を聴いて涙が出ました。
そこに更にこの歌詞って…
どんだけ泣かせたら気済むねんって感じです。
いやー、何回聴いてもいい曲ですね、ほんと。
今回は「失恋」がテーマでしたが、いかがでしたでしょうか?
完全に私個人の好み全開で、ただの自己満足っぽい記事ですけど…
少しでも共感、またはこの曲聴いてみようかな
なんて思ってくれる人がいてくだされば幸いです。
それでは、お付き合いありがとうございました。
引用
http://ameblo.jp/pipipipipi-3216/entry-11245686642.html
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編集長です。。。
いやいや、何の相談もなく、
勝手にならねこの指針を変えてもらってはこまります。
何度もいうように、私たちのスタンスは地に足のついた、
等身大でベタな社会学です。
いずれ経済学やマーケティングもシジョウの科学から、
商店街などのイチバの科学に立ち戻るでしょう。
ならねこの記事のアプローチには大きく二種類あって、
一つはその土地にまつわる歴史や郷土、
その土地ならではの文化や日常を紹介&シェアしていくことです。
もう一つは、
コミュニケーションやヒトのつながりの在り方、
私たちの空間感覚を変えるかもしれないメディア、
あるいはその可能性をとらえた作品のレビュー、
などを採り上げるアプローチです。
何れにしても、双方はモバイルのアプリ開発に収れんします。
ところでソラニンは私もはまって、カラーの英語版も
読んでいたのですが、絵はうまいけれど、
やっぱり臭いんですよ、関係性の描き方が。
ありふれた都会を背景に、よくある恋愛模様。
そのマンネリの打破は、唐突に主人公が死ぬこと。
はたして、誰かが死なないと、事件にならないのでしょうか。
お祭りやイベントがないと、街は存在できないのでしょうか。
例えば、保坂和志の小説はクソつまらないのですが、
しかし彼にとって、何でもない日常こそ事件なのです。
私たちは浅野いにおではなく、
保坂和志が「うまく描けなかった風景画」をスケッチ
していくべきだと思います。