死ぬほど退屈な動画なのに案外ニーズがある3つくらいの理由。

うううぅ。自分でも退屈すぎて、ついアクビをしてしまう動画をアップしてしまった。カエルの合唱・・・ってゆーか輪唱してる動画ですw 誰得やねん。否、Youtubeはむしろ退屈で良いのかもしれないぞ。

2017年5月現在、ニコ動の時代が終わり、代わってユーチューバーが隆盛を極めているわけだが、恐らくこの状況もそう長くは続かないと思う。これからのネット動画は、「テレビ的なもの」と「それ以外」に大きく枝分かれしていくに違いない。そのとき、現在のユーチューバーたちの素人臭いノリは、ニコ動よろしく中途半端で稚拙なものと見なされるだろう。結局のところ、ネットもテレビ的なコンテンツに進化(退化?)していくのは必至だ。ユーチューバーも極めれば普通の芸能人だし、既存メディアもネットに活路を見出すだろう。

他方、未来のネット動画における「それ以外」とは何か? それはラジオ、水槽、換気扇のことである。ネット動画のもう一つの在り方は、もはやテレビの代わりではない。むしろ声中心のラジオや熱帯魚の水槽に近いものだ。例えば、熱帯魚は積極的に見るものではない。部屋を演出するための、ちょっとお洒落なオブジェである。今やPCモニタは、ラジオや水槽のデジタル版代替機である。このことの意味が分からない人は、YouTube上で”nature sound”と検索すればいい。ただの川の音なのに、ケタ外れの再生数に驚くことだろう。


 

死ぬほど退屈な動画への3つのニーズ。

理由1 「絵の出るラジオ」的な動画
ネット動画はチラ見程度の、ラジオのような「ながら視聴」スタイルが案外多い。その場合、きっちりと内容を詰め込んだ10分動画よりも、だらだらと続く60分トーク番組のほうが都合が良い。実際、YouTubeで音声ファイルのみのトークで有名になった配信者がいる。しかもその内容はデジイチ動画なのにw

 
理由2 「熱帯魚の水槽」としてのディスプレイ
熱帯魚の水槽のように、ディスプレイ上に動画がただ流れているだけでよい、というニーズがある。その場合、エリック・サティの動画版ように、オチもヤマもイミもない、つまらないコンテンツが許容される。もっとも、つまらないなりに、基本内容はポジティブで、ちょっとした癒やし効果などが求められる。漠然とした自然音や環境映像などがこれに相当するだろう。いわば、インテリアとしての「家具の動画」コンテンツである。私のシカ・ムービーとか、どお?

 
理由3  無音こそ、最大のノイズである
無音恐怖症ニーズ。「無音が嫌、不安になる」という理由だけでテレビをつけてきた人が結構いる。無音じゃなければなんでもいいので、換気扇でもよかったりするw 実際、世間ではなぜか暖炉の動画が大人気だ。世界は・・・病んでるw 夏はひたすらかき氷を削る動画あげようかなー。

 

ってなことを考えれば、カエルの輪唱動画なんて、オチはないけどイミにあふれているわけです。そもそも退屈の定義なんて人それぞれだし、いわんや退屈動画自体に一定のニーズがあるわけだから、ださないよりはまずアップしてみんなの反応見て考える方がいいかもしれないな、っと。

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