観光貧国。
冬の早朝、飛火野で出会ったおじいさんシカ写真家が言ってたっけ。
「むかしはなあ、ここは静かでなあ、観光客も世界周遊する船でくる金持ち夫婦ぐらいでなあ」
まあそれがいまや日本有数の観光地もこんな有様だ。
ガイジンどばどば入れて、経済活性化を試みるのもアベノミクスの一環だった。
「美しい国」づくりは、どうやら「鬱くるしい国」に迷走している。
それでも飛火野のおじいさんは達観した一言。
「中国人だらけになってしもうたけれど、まあ、それも時代のながれやのう」
私はたぶん10年後も奈良にいるだろうし、
このブログもマイペースに続いていると思うけど、
「ながれ」は受け身ではなく、個々人の思いがつくるもの。
ジモト民や国民が自身の歴史や伝統を安売りして、
とってつけたような観光マーケティングなんかしても、
それ相応に民度の低い観光客がおしよせるだけで、事実そうなった。
社会のバランスはくずれ、古都の風情や情緒も失われた。
ビジネス目線で考えても、これはブランド崩壊を意味している。
長い目でみれば評判を失って、必ずソンをするだろう。
日本人は、自身が「日本人」であることに誇りをもっている人は多いけれど、
自分の故郷やいま暮らしている街への愛着やリスペクトはあまりないんじゃない?
奈良の学園前でよく議員が演説しているけれど、
日本の行く末以前にさあ、登美ヶ丘なんかあと10年ももたないだろうね。
ニュータウンの寿命は案外短い。
右翼左翼云々以前の問題として、
国家の前にその街を語れ!と言いたい。
かつて奈良公園の近くに、大きなどんぐりの木があった。
そこが住宅開発地の対象になって、どんぐりの木は切り倒された。
ある日、その木のどんぐりを食べてそだったシカが住宅地に迷いむ。
奈良に縁もゆかりもない住民が鹿愛護会にクレームの電話を入れる。
ヨソ者にとってシカは野犬と同じなのだ。
クレームが出た以上、愛護会はそのシカを捕獲しないといけない。
伝え聞いたところでは、若いスタッフは麻酔銃をかまえながら
「おまえ、俺が撃つ前にうまく逃げ出してくれよ・・・」
と内心願っていたそうだ。
しかし、そのシカはさらに住宅の奥の袋小路へと逃げ込んでしまう。
シカにとって、まさにそこにどんぐりの木があって、お母さんが毛づくろいしてくれた場所だったのだ。
捕獲されたシカは、一生、奈良公園の芝もどんぐりも食べることは、できない。