そろそろ飽きてきた、でしょ?

いまさらこの時期に、キャラものイングレスが流行るような世の中なんだから、そりゃあアプリ版「ならねこ」構想が学者や企業家に黙殺されたのは至極当然のことだったのにゃわああああ。

だってさー、外出てもゲームシステム自体が自閉症的なんだもん。そんなゲームのプレイヤー達が法隆寺でゾンビのようにわらわら群がったら、そりゃ聖徳太子もおこですって。

まさにゲームシステム上の問題はそこにあるね。近接にいるユーザーとの駆け引きも、なーーーんもない地図ゲーって何の意味があるのかと。駆け引きがないので、結局「図鑑」を拡充するための孤独な旅に出かけるはめになるw それ、ただの作業だから。。。

せめてDSの「すれ違い通信」iPhoneでいうところのMultiPeerConnectivityを活かし、隣の他人とのコミュニケーションに開かれた仕掛けを導入するべきだった。ここで初めてソーシャルな何かが産まれるし、地べたの空間をめぐるプレーヤー間の共有問題=ニアバイ・コモンズがゲーム性に奥行きを与えたと思う。

あと余談だけど、奈良公園っつーのはリアルSNSで、ジモトの金持ち老夫婦とか平日暇なヤクザがみんなでシカを育ててるわけ。そう言えば、浮見堂に不法投棄するクソ野郎を夜に張り込んで犯人を特定する・・・なんていう執念深い写真家もいたっけなあ。ま、それ自体をゲームのように楽しんでいたわけだけれども。

本来なら出会わないはずの人々が奈良公園で出会い、お互いの名前も知らないままシカに名前をつけて交流している。そしたらシカも学習して犬猫以上に彼らになつくわけ。そういう感じで、あるフィールドの野良ポケモンをみんなで育成するような要素があってもよかったのになー、と思う今日この頃です。

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