続・近鉄のって吉野にいってきた。

 

奈良のブログであることを思い出して、うおおおおお奈良県南部も行かなくては!と発作的に思ったのです。近鉄大和西大寺駅から橿原神宮前で乗り換えて、吉野へ。わざわざ特急で行くこともなかったぜ。

近鉄の終点、吉野。「吉野へようこそ!」的な錆び付いたレジャー看板がもの悲しい。バブルの遺産を見物しにきたわけじゃないのだ。年季の入ったロープウェイも、かなりぐらぐら揺れるので、正直怖かったぞ。

ところで、ここ吉野は歴史的にどういう場所なのか?

義経が逃げてきた場所(その後奥州へ)。

後醍醐天皇も逃げてきた場所(南北朝時代)。

都落ち権力者の隠れ家かよ!

こう言ってしまうとネガティブに聞こえますな。しかし吉野界隈は、大阪湾と伊勢湾を結ぶ伊勢街道のカナメであるだけでなく、南の熊野古道にも通じていたわけです。陸路によるロジスティクスが発展していく中世以降、吉野は経済的にも重要な場所だったと思う。

例えば京都の延暦寺だって、京都と琵琶湖を結ぶ中継地点だった。信長は軍事戦略上その拠点を押さえる必要があったのだ。べつに精神的に仏教がうざかったわけではないのだよw 吉野の金峯山寺も豊臣秀吉に降伏して武装解除している。ちなみに秀吉は大阪城というイメージがあるけど、実際は伏見城です。宇治川・木津川・桂川の合流地点(淀)ですね。京都、大阪、奈良の河川流通のカナメにある場所です。吉野を押さえることは和歌山〜三重間のルートを押さえることを意味してます。

江戸時代になると菱垣廻船などの海運が発達してくる。陸路の要所であった吉野は没落することなく、皮肉にもさらに発展をとげるようです。灘の酒を運ぶための樽(たる)はメイドイン吉野でした。こうして吉野の林業は活性化し、酒専用の航路である樽廻船が誕生したのです。

ネットワークやロジスティクス観点で歴史を見直すと、いろいろな発見があって面白いかもよ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください