濁り。

 

写真にはウソが多い。今日撮った上の浮見堂だって、一見風情があるように撮っているけれども、実はこの池の水質はあまり良くない。池に流れ込む小川は泡立っているし、水面は油が浮いている

当然、ここを訪れた観光客は、わざわざこれを撮ろうとはしない。積極的にそれを見ないようにする。それは誰かエライ人の課題であって、自分の範疇ではない。ただし、ここは美しくあるべきで、そう取り繕う必要がある。そして美しいウソ写真がネット上に流通していく。

この池の水はシカたちの飲み水でもあるわけだが、はたして大丈夫だろうか。都合の良いときだけゆるキャラや宗教行事に祭り上げておいて、その実態は知らん顔だ。悪影響が出てから考えれば良い。みんなそう思っている。

こういうことは、どこの地域でも多かれ少なかれあることかもしれない。だが、そういうコモンズへの無関心は寄せ集まると、一つの巨大な悪意の渦となる(この記事の当初のタイトルは「東京終末論」で後半の東京の話を削除した。その代わりにプライベートな話で締めくくることにしよう)。

この批判は自分自身にも向けられる。禁煙であるはずの奈良公園に落ちているたばこの吸い殻を見たとする。かつての私は舌打ちをして通り過ぎていく。それだけだった。吸ってたヤツを想像してあれこれ批判する前に、とりあえずその吸い殻を拾えよ、と今さらながら思う。

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