最近、本棚がDVDラックになりつつある。

 

あああああ、ならねこ総研の本棚の賢そうな本たちがだばだばと天牛書店さんに流出し、そこに最近買い占めたDVD(高価な学術書を売り飛ばした資金による)で埋まっていきまする。GWはTV版『マイアミ・バイス』しか見ていない。デゲデゲデゲデゲデゲデゲデゲ(OP曲)。

前から言っているように、メディア論とかマクルーハンとか引用してるヤツらがダメなのは、けっきょくそれがメディア決定論・メディア唯物論になっちゃうからだ。コミュニケーションの類型に関する知見が軽んじられているねえ。

とはいえ、コミュニケーション論も体系化されていないままじゃないか。ハーバーマスのコミュニケイション的行為、とかすでにこの訳語が痛々しいちゅーに。これって内容的にはネゴシエーションのことだろう。曰く、世界は交渉で成り立つ也。だからテメーの文章は退屈なんだよYO!処女作のパブリック・スフィアの話で、カフェの話とかでてきたのに。あの意味不明ハイデガーですら、アイドル・トーク(無駄話)に言及しているというのに。カフェでAKBの話をだらだらだらするのも、またコミュニケーションなりや?

さらにさらに映画関係の本も、退屈なやつばっかりで、年代別とか監督・俳優別のものだらけ。ひねりがない。学術的な映画本は、黒人がどう描かれてきたとか、フェミニズムが云々とか、そんなヘリクツ言うヤツと映画なんか観たくないわw ゴダールでござーる。なにそれ美味しいの? そんなものは映画界のピエール・カルダンだぜ。ぷぷっ。

ならねこ総研のとりくみは、コミュニケーションとメディアに関して、もっと、ちゃんとつきつめることにある。プログラミングからもサブカルからもだ。そんで、サブカル面でやってみたいのは、物語のなかで携帯とかPCなんかのメディアがどういう形で登場し、そんでもって手先にある空気のような存在になっていったかという過程を見てみるのは面白いと思うのだ。だからそれ目線で映画とかドラマを見まくる・・・というのはどうだろうか。

 

追記。いま、大阪の天牛書店にはブローデルとかの歴史関係の本が充実していると思います。あとObjective-C関係の本とかも(もうニーズないけど)。

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