もー今月の私はペルソナ4の話しかしませんから。

 

そろそろペルソナ5の動向が気になる今日この頃ですが、私はこーゆーゲームはvitaでやりたいんだけどなあ。PS4を買ってワイヤレスでvitaでやるっつーのが正解なんだろうけれど、なんか面倒くさいなあ・・・。発売延期しているみたいだけど、シナリオはとっくに出来ているじゃないかな。たぶん3Dが追いつかないんだろうね。はっきり言って、vita版ペルソナ4ですらポリゴンなんとかせーよ、って感じだったし。

それでも、ペルソナ4は神ゲーです。たぶん新作の5はこれを超えることはできない。5は舞台がまた東京なんだなあ。いいよもう東京とかどーでもいいんだよ。4の田舎町が良かったんだね。いろんなゲームがあったけれど、レトロな半シャッター商店街が出てくるゲームって、このペルソナ4ぐらいでしょう。雪景色の商店街を歩くだけで、しんみりしましたよね。でも、このゲームがノスタルジックなのは風景だけじゃない。

私は、ペルソナ4の登場人物そのものに郷愁を覚えずにいられません。と同時に、そこに若手社会人が陥りがちな自己啓発ノイローゼ地獄を垣間見てしまう。まるで中学生日記のような青臭いセリフには、中二病化しつつある社会(人)にもつき刺さるものがあるはずだ。裏を返すと、高校生である主人公たちは、ぜんぜん現代の高校生らしくないのです。

その理由は、高3である彼らの学園生活には大学受験も就活も存在しないからです。天城さんは実家の老舗旅館の女将になるし、花村くんは大手ショッピングモールを親父のコネで入社しそうだし、りせちーは芸能界に復帰するし、里中さんは卒業式のあとで警察なるとかいうし、主人公は東大とかうんぬん以前に何もかもが神すぎて、たぶん起業するしかないしw みんなマイペースなんだよね。でも、そこには一応「私と向かい合った結果としての私」がある。実際、田舎の一部の高校では、こんな感じのテンションが残っているし、社会的にもこれのほうが健全なんじゃないか。

いまの高校生とか大学生って、とりあえず一元的な偏差値ゲームにのっかるか、SPIとか公務員試験講座みたいな就活ゲームにいくわけでしょう。理由は「みんなやってるから」。いや、でもそれはクソゲーですよ。それって、先の中学性日記のような「おれって、なに?」みたいな実存論的ハシカをスルーしちゃっている。その一方で、田舎では、なしておまえは大学行くべ?そんで何をしよっと?みたいな問いが生き残っている。こういうのが通過儀礼になって、少年少女はペルソナを得る=オトナになっていくと思うのね。

逆にそういう免疫を持たないまま大学へ行っても、大学なんかくだらん講義しかないとはいえ、そもそも何が面白いのか見分けがつかないし、さらに社会人になって上司から「おまえって、ほんとつまんねーな」って言われてはじめて、「え、面白いってなに? おれってなに」になって急にアタフタするわけです。ファスナーを開けると、水玉模様すら無い、中身が空っぽの着ぐるみであることにそこではじめて気付く。

そして、サルのように黒板の文字列をノートに転写することや、コピペレポートをいかに要領よく作成することを「勉強」だと思ってきた着ぐるみたちは、いい年して大学の講義以上にくだらない自己啓発本を買いあさるるようになる。それで中身が埋まると思っているわけだ。嗚呼、地獄ですねえ。でも、それはチープな新興宗教でしかない。クソゲーをシニカルにプレーしてきた奴にかぎって、結果、インチキ自己啓発本の著者なんかをセンセイと崇めたりしちゃうわけです。

そーゆー失敗も含めた自分探しは、10代で卒業すべきものであって、20代でやることではないと思う。でも、ゆとり教育とは裏腹に、今の10代にはそういう機会が昔以上にないような気がしますね。

どうせ現時点での優良企業なんて10年後倒産か合併しているし、外資に行ったって中国かアフリカへ転勤って言われるだけだし、地方公務員になっても人口減少社会では夕張みたいに破綻する危険があるし・・・ってかこの国って絶望しかないわけだけど、観光地としてそこそこ活気がある田舎町の商店街で、細く長く商売することの方が意外と安定しているということに気付くべきなんだよなあ。

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