下妻から遠く離れて。
イナカ類型学
突然ですが『ここは退屈迎えに来て』の著者、山内マリコは美人です(^o^)。
この人の出身は富山なんですって。小説の舞台は最後まで明示されなかったけれど、いわれてみれば富山っぽい。ちなみに10年前、私、独りで富山県の高岡から氷見海岸をひたすら歩いたことがあります。いや、安く泊まれるところを探してるうちに暗くなって、ナイトハイクになっちゃったという。となりのでっかい小京都、金沢ですら漫画喫茶がないのですね。甘かった。自分は地方を知らなかった、ということを知った。なので夜は寝ないでひたすら歩くことにした。真っ暗闇のなか、ザバァザバァと波の音だけ聞こえてくる。明かりがないので手元の地図も見れない。自動販売機の明かりだけが頼りだったな。さらに小雨も降りだしてもぉ惨めなこと。そもそも、こんなところで、なにしてんだよ、オレ(神戸のバイト先にお給料もらいにいっただけなのに、帰りの大阪駅で不意にサンダーバードにのっちゃったのだ)。そういえば氷見海岸は義経の逃走ルートだったらしい。そんな立て札があった。やい牛若丸、おまえもこんなところで、なにしてたんだよ。こっから船で奥州いったのかなとか、こんなことなら金沢で飲み明かせばよかったなとか、ぶつくさ思いにふけりながら歩く。そして夜明けごろ、いうことをきかなくなった足を引きずりながら氷見市に到着。疲労困憊だけど光を取り戻していく景色が美しくて、気持ちは軽やかだ。青と青の地平線を背にして、雑草が生い茂る駅のホームが映画のワンシーンみたい。ちょうど銭湯があったので、昼頃まで湯船で爆睡していたっけ。そして昼下がり、氷見をフラフラ散歩しているとシャッター商店街があった。生まれて初めて見たのでワケがわからない。定休日でもないのにシャッターがずらーっと視界の向こうまで並ぶ様は、逆説的にいえばそれらはかつて賑わいがあったことの痕跡でもある。だから、この静寂は現前する静寂以上のわびしさをかもしだすのだ。ってか、おーい、何かくわせてくれええ。その後、銭湯で知り合った漁師に市場まで車でおくってもらって、そこでイクラ丼でも食べたかな。良く覚えていないけど。
[mappress mapid=”29″]それはそうと、富山というのは大都市から隔絶したイナカだ。まあまあ近い金沢市ですら殺風景なんですもん。点在するハコモノは立派だけど、金沢市も大都市とはいいがたい。当たり前かもしれないが、限界集落としての地方とベットタウンとしての地方は、同じイナカでも別物だと思うわけ。例えば、『ここは退屈』の舞台である富山は『下妻物語』の茨城県下妻市と同カテゴリーの街なのだろうか。両者を大都市圏へのアクセスという観点で比較してみよう。大阪ー富山間3時間、東京ー下妻間2時間30分と二つのイナカはかなり時間がかかる。だから両者は場所こそ違えど限界集落的に相似している…と思うじゃない?しかーし、現在の東京ー下妻間は、つくばエクスプレス開通により1時間20分に短縮されているのだ。かくして、下妻は限界集落を卒業して東京郊外の新興ベッドタウンとなった。1時間ちょいで大都市にアクセスできるイナカと3時間かけて大都市へ「出張」しなくてはならないイナカでは、その意味合いがまるっきり違う。『下妻物語』で描かれた下妻市はもはや存在しないのだ。当然、その変化は、そこで暮らす者たちのメンタリティにも影響を及ぼすだろう。そう考えると『ここは退屈』に本当に共感できる読者は実はそんなに多くないと思う。なぜなら、地方のロードサイドといっても、案外日帰りで大都市にアクセスできるイナカも多いからだ。あくまでも『ここは退屈』の風景(心象風景を含む)は、大都市から隔絶された陸の孤島であがく少女たちの哀史なのである。
…という風に、イナカはもっと詳細に分類できると思う。そうであるにもかかわらず、ちまたにあふれる「まちづくり」「地方」「郊外」といった議論は、イナカというものをあまりにも画一的に語りすぎだと思うのだ。これまでイナカは「東京をはじめとした大都市以外のなにか」みたいな感じでほったらかされてきたのである。
[mappress mapid=”30″]さて、ここに大学のセンセーが書いた本がある。阿部真大『地方にこもる若者たち:都会と田舎の間に出現した新しい社会』。途中でJpop評がいきなりでてきて、なにがいいたいのかよーわらんのだが、ポイントは「都会と田舎の間」という社会がありますよ…そこにはイオンのショッピングモールがありますよ…そしてそれは貧乏な若者のテーマパークを兼ねてますよ、という感じか。それがどうしたって感じもするけどね。彼がそう断定するのは、岡山県倉敷市でのヒアリング調査による。そうそう、私も倉敷へは7年ほどまえに、ジーンズの取材で訪れたことがありました。晴れの倉敷は瀬戸内海がキラキラしていて、そこにのどかな緑が広がっている。日本のもの作りが都市伝説化していくなか、倉敷の町工場が”made in Japan”のジーンズを世界に向けて生産している。より正確に言えば、50年代のデニムの風合いを出せるのは世界でも倉敷だけで、Japanという記号自体にはブランド価値はない。だから海外の大手メゾンも倉敷に直接発注してくるのだ。また大手としてはクラボウが存在し、そこが大病院を作ったりと都市インフラも充実している。自然が豊かで果物も寿司もうまいしすげーリッチな隠れ里だ。そして、何よりも豊かな点は、このイナカ風情に飽きたら電車で15分強で岡山市にいくことができるという距離(距離感:心理的なものも含む)だ。さらなる大都会を求めるなら新幹線で1時間ちょいで西は広島、東は神戸にアクセスできる。片道3000円以上かかるけどね。まあイオンがどうのこうの言う前に、倉敷市は様々な好条件にめぐまれている。なので、このワンケースを演繹して日本の地方一般を語るにはさすがに無理があるだろう。語ったところで教条的なドグマの上塗りを帰結してしまう。そりゃ、倉敷だったら私もこもりたいよねー。とりあえず、Jpopのオナニー評論なんかに紙面を割くまえに「地方」の諸パターンや条件を見極めることこそマジメな社会科学だと思うぞよ?これと同じく「里山資本主義」とかいわれても、私にとっては「え里山って、どのタイプの里山?」って感じなのです。 [mappress mapid=”31″]
ベッドタウンのイナカにしたってワンパターンではないと思う。和歌山と奈良を比較してみよう。大阪天王寺ー和歌山間は快速で約1時間、大阪(天王寺)ー奈良間は快速で約30分と二倍近い開きはあるものの、双方とも大阪への日常的アクセスは可能な条件にある。人口はどちらも約37万人で、同規模の都市だ。そうであるにもかかわらず、この10数年で、和歌山と奈良の商店街はずいぶんと差がついてしまった。 [mappress mapid=”32″]
和歌山の商店街はシャッター街の代表格になっちゃった。
その一方で奈良市は昭和のまま、だらだらと営んでいる。こういうケースを見ると、地方の商店街問題を考えるとき「イトーヨカードーが悪い」とか「商店街の店主にやる気がない」という考察は的外れだ。奈良にも大型店はいっぱいあるし、店主のやる気なんて循環論だと思うのね。似たような条件でもこれだけ差がつくのだ。やっぱ、30分と60分の差がでた?否、私はそれが理由だと思わないなあ。人の流れは物理的な時間よりも心理的な距離感に左右されると思うからだ。そして、その心象は都市と都市の関係性に由来するんじゃないか。たぶん、奈良のマネジメント手法を天下り的に和歌山に適用しても上手くいかないだろう。実は奈良には隠された条件があって、結論からいうと、和歌山は「ターミナル」で、奈良は「トランジット」なのだ。京都ー大阪間の経由点としての奈良を改めて地図に表示しよう。
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三つの都市を結ぶと⊿記号のようになり、奈良は二つの個性的な大都市にサンドイッチされていることがわかる。やや遠回りだけど観光ルートとしての大和路において、奈良は京都ー大阪間のトランジットを担っている。「ちょっと奈良よってく?」と「よし今から(終点の)和歌山いくぞ」とい心理的距離の差は大きいと思う(和歌山も江戸時代は東西海上交通において重要なトランジットだったんだろう)。それをいったら、⊿の/のルートでは、茨城市や高槻市も京都ー大阪のトランジットなのかもしれない。けれど、観光地としてわざわざ高槻に途中下車したいとは思わない。だらだらやってる商店街に、ぶらぶら半野生の鹿がやってくる。こんな都市は奈良だけだ。そんなええ加減な営みが温存されるのも、やっぱり地政学的にトランジットという特性が働いていて、これが最低限の観光客数を保証しているからだと思う。このように、奈良と和歌山は都市と都市を結ぶロジスティクスとして全然別物なのだと考えなくてはいけないね。こういう区別があいまいだから、あそこの街の成功例をここでも試してみよう的な場当たり的なマネジメントや政策が巷で氾濫しているんじゃないかなあ。