1980 ( 2013 ) :
『ここは退屈迎えに来て』と『なんとなく、クリスタル』

 

amazonのレビューに、『ここは退屈迎えに来て』は平成版『なんとなく、クリスタル』である、という評がある。なるほど確かに、山内マリコ氏の『ここは退屈迎えに来て』は、1980年に田中康夫が著した『なんとなく、クリスタル』を連想させるものがある。『なんクリ』が東京の新興貴族大学生のリア充体験記だとすれば、『ここは退屈』はさえない平民階級がファスト風土という奈落で悶える獄中日記といえるかもしれない。実際、私もそう思ったのだが、しかし今日、改めて『なんクリ』読み直したらそうでもないかな、とも思った。『なんクリ』の主人公、モデル兼女子大生の由利のおばはんクサイのセレブ言動が、かえって「おまえ必死やん」という突っ込みをいれずにおけなかったからだ。まあ、それは作者の確信犯的文体でもあるんだからまーしゃあないとしても、由利の彼氏は確実にダメだ。彼のセリフや描写からしてどうもアホっぽい。作者の意図に反して、彼はイタい男だと思う。彼はミュージシャンで、ジャンルは流行のフュージョンで、学生なのに秋田にツアーで演奏していて…という設定でカッコよさを(作者が)PRするのだが、すでにその肩書き弁慶さ加減が可哀想な男だなあ、と哀れんでしまう。

1980年ぐらいの東京。物語の登場人物達はスペースインベーダーも沢田研二も知らない。貴族なので認識できない。うそつけ。おまえら知らんフリをすんなや、と私。実はスペースインベーダーに病的にはまっていて、アメ横のゲーセンでばれないようにスタジャンに変装して半日興じているんだろ。正直にいえ。やい彼氏、おまえも本当は風呂では「トーキーオっ!」てバカみたいに独りカラオケしてるはずだ。同棲して、それができなくなったストレスで他の相手とSEXしちゃうんだよ、ああバカだねえ。そういうのを抑圧して隠す。浮気は認めるけど、風呂で「TOKIO」歌ってることは極秘事項なのだ。東京はクリスタルでないといけないんだよねえ。まったく、おまえら必死やん。

ラストシーンにて。主人公の由利は街中でふと10年後を思う。30歳になってもシャネルの似合うモデルをやっていたいな。もちろん彼氏も音楽家として大成功して、ほんでもって二人幸せな夫婦になれたらいいな、と。いやー無理でしょうね。おまえみたいなイヤミな女、25なったらポイやで。芸能界なめんなよ。男の方もボンボンなだけでアホだし、そもそもフュージョンって、ただのピコピコシンセやろ。その後、食い扶持もとめてファミコンの音楽でもつくるんかなあ。なんとなく、暗雲たちこめてません?というように、『なんクリ』は世間で言われるほど、バブリーでノー天気な小説ではないです。ま、80年代以降の東京の沸騰と荒廃の両方を予見しているという意味で、重要な作品であることには変わりないですけどね。

そして、2013年の『ここは退屈』。こちらは群像劇ですが、その中の一人に、25歳を前にして芸能界を引退し、地方のスタバでバイトしてる女性が出てきます。ドイナカでのたうち回る彼女のコミカルな悲哀は、まさしく『なんクリ』の見たくない後日譚といえるのかもしれません。そういう意味では両者は対照的なのですが、しかし、注意すべきはタイトル『ここは退屈…』の「ここ」とは、地方のことを指しているのではない。だって、あこがれの東京もなんにも無かったのだから。この作品が3.11以後のものであることも見逃せない。震災で東京のもろさがフィジカル面とシステム面の両方で露呈してしまった。東京もまた「退屈」な場所なのです。実際、3.11を契機に実家に帰ってきた女性のエピソードもでてきます。田舎もだめ、東京もだめ、帰ってきたけどやっぱ無理。ん海外?アメリカとか?あの国いうほど自由の国ちゃうでー、田舎の人種差別きっついでー、茶髪のジャップなんて、you薄ら笑いやでー、という救いのなさ。ああ、この絶望に出口なんてないのだ。そう、「ここ」とは「出口がないということを知ってしまうことへの絶望」なのです。

そういえば、そんな映画がありました。『キングイズアライヴ』は砂漠のど真ん中で助けを待っているんですが、みんな気が狂って「リア王」を演じ始めるというヘンな映画です。でも私は『キューブ』よりこっちのほうが好きなんですね。だって『キューブ』は出口があることをみんな知っているわけです。それは希望です。とりあえずその出口を探してがんばれますね。まあ死んじゃうけど。『キングイズアライブ』は出口を探さない。そもそもないんだから。で、「リア王」やる(笑)。『ここは退屈』も田舎のファスト風土という砂漠に埋もれていくか、夢の防壁で自我を狂気な次元で維持するかの二者択一を迫られます。もうそれ自体が無間地獄なのですが。。。こういう物語は悲劇だか喜劇だかわかんないですね。だがそれがいい。私自身は第三の道があるんじゃないかと思いますけどねえ。でも、それを安易に描かなかったところがこの作品を傑作たらしめているんじゃないかな。

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