嗚呼おしい!何もかもが。
『シャッター通りの死にぞこない』
レビューは出来るだけ、街やコミュニケーションに関するものを取り上げていきたいと思う。いまやシャッター商店街も日本の街なみの一つであり、そこを舞台にした話とあっては、福澤徹三『シャッター通りの死にぞこない』を読まないわけにはいくまい、という次第で手に取ってみた。
この小説、社会派ライトノベルだとわりきれば悪くない。商店街の実情なども盛り込まれており、コメディの中にも真実みのある事例を垣間見ることができる。ただし、もしこれを文学として読むなら、この作家は実に惜しいことをしていると思う。シャッター街という最高の素材を生かし切れていないのだ。この小説のシャッター街はあくまでも物語の背景にとどまっている。シャッター街は、あくまでも世相を皮肉るための、またドタバタをやるための珍妙な舞台でしかない。
より建設的に、この枯れた市場をどのように再生するのかについて、作者なりのアイデアが投影されるべきだったと思う。それが奇想天外な解決であれ、SF的解決であったとしても、私はそういったところにこそ作家ならではの哲学が宿ると思うのだ。そういう意味では、この作品は純文学としては軽薄であり、ライトノベルとしても肝心のキャラがいまいち立たないという、すべてにおいて中途半端な感じが否めないのである。素材が良いだけにもったいないと思う。
文才の無さをドタバタとラノベ的レトリックで誤魔化している感すらある。もし純粋なラノベとして評価するならば、アニメ版『うる星やつら』的テンションと情緒性を踏襲するべきだった。一言で言えば、『うる星やつら』は女性も支持する要素があるが、この作品は女性読者の支持は得られないだろう。まあ、そういうことだ。
結論。商店街問題を、中学生や高校生なんかと一緒に考えるための、良い教材ではあるとは思う。(中途半端な作品なので、そのとき教師の力量も試されると思うが)
※ちなみにこの物語の商店街の名は「子鹿商店街」。奈良のことかと思ったら関東方面だった。