「XX年代論」批判。
備忘録。
「80年代はさあ」とか「90年代における」という表現があるけれど、そういう根拠の無い10単位の区分ってアホっぽいよね。
80年代と言っても、実際には1985年の「プラザ合意」以前以後では時代の空気感が違うわけだし。前半は地に足の付いた躍進だったけれど、80年代後半は制御を失った急上昇(バブル)だった。
まあ、当時はプラザ合意どころではなく日航機墜落で世間はてんやわんやだったわけで。裏でプラザ合意を推し進めるためのショックドクトリンだった、という説もある。私もそう思っているんだが。
90年代も「失われた10年」と簡単に総括されてしまうけれど、前半はジュリアナに象徴されるようなお祭り感はまだ存在した。その雰囲気が変わったのが、1995年の震災、そして新興宗教のテロだった。
後半で個人的に印象深いトピックがSONYのVAIOの発売。OSがマイクロソフトだったことにがっかりしたっけ。「もう昔のSONYじゃないんだな」と思った。もし、このときに独自OSを追求していれば、SONYはappleに負けなかったし、分社化でズタズタにならなかったかも。
ゼロ年代だって、前半の小泉フィーバーが印象的だけど、リーマンショックで後半はグダグダだった。前半を牽引していた堀江や小室が逮捕されたりした。
福田総理が唐突に辞めて、バブル崩壊。はて、アメリカに何を言われたのかな? 学者ってアベをバカにするだけで(まあバカなんだが)、そーゆーの、ちゃんと検証しないよね。
そして10年代。3.11で日本の没落は確定的となったハズなのに、フクシマなんてなかったかのようなヘラヘラゆるゆるした5年が過ぎた。特に西日本ってホント他人事なんだよな。
バイトの大学生が「でも原発がないと経済まわらないんでしょお?」とか真顔でほざきよる。さすがに、これからの後半はそういうノリでは回らなくなると思う。
10年代後半は、東京オリンピックという老人達の現実逃避、そして放射能被害激増という地獄絵図がパラレルに進行していくんだろうなあ。ま、私は3.11で日本人を卒業してるので、ただただアホな日本を傍観します。否、スルーでもいいかな。