RPGの中の経済世界。
最近のRPGが不作なのは、プログラマーが些末な「セカイ」設定ばかりに気をとられ、「その中の経済」に関する哲学やポリシーを全く欠いているからだと思う。一般的なRPGの経済は、計算機科学と親和性が高いはずの新古典派経済学の原理すら無視している。このことは俗流RPGへの次の二つの疑問として集約される。
なぜ商品価格はスタートした街から離れれば離れるほど高くなるのか?
しかもなぜその物価は固定的で変化しないのか?
このようなRPGのお約束を反省するところから、新しいゲームは生まれてくる。例えば、プレイヤーがある街の周辺のモンスターを狩ることによって、その地域が平和になり、住民が武器を買う必要がなくなり、結果その街の武器屋の「はがねのつるぎ」が投げ売り状態になり、一方で人々の往来が活発化し居酒屋で新たな情報が手に入る・・・他のシナリオとしては、武器経済で成り立っていたその街自体が荒廃し消滅してしまう・・・などが考えられる。
このような発想は、ある個人を育てるゲームとしてのRPG(ミクロ)、ある街を育てるゲームとしてのシミュレーション(マクロ)というジャンルを横断した新ジャンル創造の可能性を持っている。「大航海時代」はこれに近いかもしれないが、しかしRPGに不可欠な物語性が希薄である。
この着想は、すでに「ドラクエ3」の「○○バーグ」に存在していたものだ。周知の通り、この「成長する街」というアイデアは、現実のアメリカ大陸の開拓のパロディだった。しかし単なるパロディを超えて、RPGの中の経済世界について一つの先見性を持っていたと言えるだろう。