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森町さんの定番、これからの定番。

 

春です。なのに今夜の奈良は激寒です。そんななか、二月堂のお水取り行ってきました。私の定番E-M5mkⅡ+NOKTON 42.5で納得の動画撮影ができて大満足です。その様子はまた明後日までにアップします。

ところで先週、FXでぼろ儲けしたので(嘘)、OSMOを買ったんですね。去年の秋に買いたかったんだけど、初期ロットはトラブル三昧だったので、ちょっと安定するまで静観してました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

次世代ビデオカメラの定番と言って良いOSMOですが、実物の質感がかなりいいんですよ。広告以上です。物理デザインもソフトのUIもめっちゃカッコイイ。機能もよく錬られている。パッケージングも最近のSONYなんかよりはるかに上を行ってます。箱を開けるときにワクワクしたのって久しぶりです。まあ、マイクがクソだけど、それはOSMO2で改善されるでしょ。私はモノラルのBTワイヤレスマイクで対処するつもりです。

OSMOを作った企業DJIは、ドローンバカ売れで波に乗りまくりの台湾企業で、製造自体は中国。企画も製造もあっち側です。なのにチープさが全くない!!

あーあ、日本って、こういう革新的なモノが作れない国になっちゃったなあ。レトロデザインのカメラ作って、ジジイに媚びるだけのマーケティングなんかしてると、ほんまに日の丸カメラ産業終わっちまうぞ。

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“4K”という情弱ビジネスの極み。

 

映像関連規格“4K”とは、日本家電メーカーの弱体化と消費者の情弱化の象徴なり。

フルハイビジョンより高解像度なのが4Kの売り文句です。面積で言えば4倍くらい。でもさあ、いまどき100インチ以上のテレビを買って番組とか見る?ってゆーかいまのTV番組って超高精細である必要がある?  ヨドバシ行ってもテレビコーナーすっからかん。 3Dもコケたし。 誰も居ないTVコーナーに芸人のドアップがコーナー中シンクロしております。うわぁぁ末期的。

4Kはメーカーの持続的イノベーションの袋小路そのものだ。「画質」は解像度だけではないのですよ。そうであるにも関わらず、カメラは解像度だけを追求してしまう。他方、価格.comのユーザーサイドの書き込みも悲惨で「新機種の4kは60pじゃないのですね、とても残念です」とかほざいてやんの。2kの60pでもエンコードがしんどいのに、4Kの60pなんかプロでもやっていない。このバカ、編集なんかしたことないんだろうな。こんなアホな消費者相手に市場調査したって、ろくなことにならないのは明白だ。

4Kに対応していないYoutube(仮に対応していたとしても通信量が膨大すぎて私は絶対見ない)で「4Kテスト」なる動画も片腹痛い。こんな奴らに限って、手ぶれしまくりカラーバランス崩壊動画を恥ずかしげもなくアップしてる。自称情強は2chで妄想スペック語ってるのがお似合いですわ。おほほほほ。(あ、「おほほ」と言えば小保方がほんとにポエム本を出したね)

日本企業は、価値基準を客観的に規格化すると、それにサルみたいに突き進んでいく傾向がある。まあ、いまや大企業は受験バカ社員で占められているので、そうなるわなあ。逆に、規格化されていないスペックに関してはあからさまに誤魔化してくる。ホント、そういうところが受験バカ特有のやらしさだよね。で、そういった部分が海外の新興国のベンチャーに突かれつつあるのが現状だ。

さて、こんな嫌味ったらしい駄文をだらだら書いているだけのおまえも評論家気どりのスペック厨ぢゃねーか、と言われそうだけど、否!、私の主張はシンプルかつ建設的だぜ。以下のあいまいなスペックを業界標準化・規格化したらいいのだ。さすれば、結構メーカーもマジメに頑張ると思うのなー。

モノ作りできない日本企業の背景の一つに、その業界共通の標準化・規格化が遅れているという点が挙げられる。

排ガス規制のときみたいに、日本人は規格がないと頑張れない。マゾですねえ。

 

防塵・防滴
SONYのα7なんか「防塵・防滴に配慮した設計」だす。「配慮」って何だよw 文学的すぎるわ。ちゃんとIPコードを仕様で記述すべき。http://allabout.co.jp/gm/gc/19765/2/
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高感度ISO
暗闇のなか鮮明に撮れるα7Sの高感度性能は革新的だった。ただし、今後ニコンのD5のように、数字だけのISO何百万戦争が勃発しそう。そもそも「暗闇が撮れる」だけならノイズまみれでも撮れるわけです。ノイズや質感に関するリミットは各企業の価値観に左右されて自己申告になっている。暗闇感度特性も標準化したほうがいい。

センサーゴミ取り
そもそもミラーレスカメラのレンズ交換時に、なんでセンサーが剥き出しになるんだよ。内部シャッター閉じてほしいね。センサーのゴミ除去技術はOLYMPUSが昔から長けている。個人的経験からして10年間センサーのゴミで悩んだことはない。ヨドバシのα7のセンサーはゴミがいっぱい付いているけれど、大丈夫か?アレ。各社のゴミ除去能力の規格化・数値化もやるべきだ。

手ぶれ補正(歩行ぶれ補正)
手ぶれ補正にも5種類くらいのタイプ(光学式、空間光学式、センサーシフト、デジタル処理、ジンバル、またはこれらの複合型)があるけれど、手ぶれ補正と歩行ブレは別物だ。立ち止まった時の手ぶれは、どの方式でもそれなりに効くが、歩行時の歩きぶれを抑制できるのはSONYのハンディカムの空間光学式とOLYMPUSのOM-Dなどのセンサーシフト式だけ。この二つでは、効き具合はE-M5 mkⅡに分があるものの、階段やパン時にコンニャク現象がたまに起こる。

また、α7Ⅱシリーズのセンサーシフト式はセンサーサイズが大きすぎて歩行ぶれには適さない。こういうの特性も、一般にはまだよく知られていない点だろう。ハンディカム、OM-Dのどちらもも、歩き撮りに適した形状デザインじゃないのも難点だ。うかうかしているとOSMOなどの中国勢に新市場を持って行かれそう。

5インチのモニター、6chミキサー、歩行ぶれ補正などをオールインワンにした機材が欲しいんだが・・・どんなデザインになるんだろう? 少なくともそれは不可知論的な次元に存在するだろう。レトロデザインなんかで満足しているような連中には想像ができないものだろうね。

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クウネルの乱。

 

出版恐慌です。最近の本って、まるでワイドショーみたいなペラペラな内容ばかりで、タイトルと目次だけでその内容が理解できてしまうものばかりですよ。梅田の紀伊國屋では、もの書きが館内放送で自分の本を買え買えとやかましいし。作家先生が必死で営業です。かっこわる。雑誌なんかもっとヒドイよね。記事なんか、もう、インターネッツでええやんか。

そんななか『クウネル』という、ほんわかライフスタイル誌が、元アンアン編集長を据えて大リニューアルしたそうな。

・・・そして大炎上! そして伝説へ。

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『クウネル』っていうのは、ライフスタイル誌のふりした大人のファンタジー絵本だったわけでしょう? リアルの向こう側にあるおとぎ話のような日常を心のどこかにたずさえていたい。そんな思想を持つ女子(年齢問わず)の幻想ライフスタイル誌だったわけですよ。

それが、なんということでしょう。リニューアル後の特集が韓国料理ってw ぶぶぶ、唐辛子効き過ぎっ。読んでないから詳しくは言えないけれど、リッチな暮らしを記号消費で手に入れるという昭和のアンアン的快楽主義に、おそらく旧クウネル読者はついていけないでしょう。

そもそも、新クウネルのターゲットが50代女性ということだけど、旧クウネルというのは年齢で読者を絞り込むような雑誌ではなかったハズ。世代別でターゲティングするというのはマーケティングの王道だが、クウネルというのはそういう古典的なマーケティングの彼岸に存在していた雑誌だったと思う。

要するに、本来のクウネルは「マーケティングしない」世界観を売りにしていたのに、リニューアルで普通にマーケティングしちゃったwという最近の迷走するマガジンハウスらしいミスを犯してしまったのです。

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都築響一『圏外編集者』レビュー。

 

『圏外編集者』を私は紀伊國屋書店梅田店で買ったのだが、手に取った場所は、社会学のコーナーだった。フリーの編集者である著者は、自らが歩んできた過去や現在のマガジンの状況を語っていく。この意味で本書は一つのメディア論(史)として読むことができるだろう。

また、個人的には経営学・マーケティングのコーナーに置いても良いと思う。この圏外編集者のアプローチは、ある意味、マーケティングしないというマーケティング戦略論を展開しているからである。

マスメディアはなにかとアンケートを取りたがるけれど、それは読者との距離感がリアルじゃないからだろう。アンケートというのはようするに平均値で、多数決だ。いちばん多い意見に基づいて、次の記事や番組が作られていく。でも、いちばん多いのはいつも、いちばんつまらないって決まっている。多数決で負けるひとのために、僕は記事を作っているのだから。p. 243

この本は、読みやすく、しかも分かりやすい。著者の語り口は軽快だが、そこには持ち前の軽快なフットワークでサバイブしてきた者ならではの深みがある。でもねえ、若者よ、これを真に受けてはいけないぞw 今更おまえがマネしたってダメだから。

ババ様、雑誌はみんな死ぬの?
定めならね、従うしかないんだよ。

活字と写真だけでコンテンツが成立する時代は終わった。サブカルなんてググればタダでいろんな珍情報が手に入る。そんな時代で著者の猿まねをしても無駄無駄無駄。実際、この本のオチ、メルマガいいね、だもん、なんじゃそりゃ。

そう言えば、田舎の近鉄奈良駅ですら、広告ポスターは紙から液晶になった。液晶になるということは、写真という静止画である必然性がなくなったことを意味している。近い将来、ディスプレイは巻物やペーパーのように曲げられるようになるだろう。次世代の書物のなかのグラフィックは静止画である必要はない。

話を現在にもどそう。昔に比べれば、誰もが気軽に写真が撮れて、しかも簡単にシェアできるようになった。しかし動画に関してはそうではない。そのためのノウハウも確立されておらず、作り手独自のポリシーや哲学が必要になってくる。

そして恐らく、これが「次の圏外」への糸口になると思う。

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もー今月の私はペルソナ4の話しかしませんから。

 

そろそろペルソナ5の動向が気になる今日この頃ですが、私はこーゆーゲームはvitaでやりたいんだけどなあ。PS4を買ってワイヤレスでvitaでやるっつーのが正解なんだろうけれど、なんか面倒くさいなあ・・・。発売延期しているみたいだけど、シナリオはとっくに出来ているじゃないかな。たぶん3Dが追いつかないんだろうね。はっきり言って、vita版ペルソナ4ですらポリゴンなんとかせーよ、って感じだったし。

それでも、ペルソナ4は神ゲーです。たぶん新作の5はこれを超えることはできない。5は舞台がまた東京なんだなあ。いいよもう東京とかどーでもいいんだよ。4の田舎町が良かったんだね。いろんなゲームがあったけれど、レトロな半シャッター商店街が出てくるゲームって、このペルソナ4ぐらいでしょう。雪景色の商店街を歩くだけで、しんみりしましたよね。でも、このゲームがノスタルジックなのは風景だけじゃない。

私は、ペルソナ4の登場人物そのものに郷愁を覚えずにいられません。と同時に、そこに若手社会人が陥りがちな自己啓発ノイローゼ地獄を垣間見てしまう。まるで中学生日記のような青臭いセリフには、中二病化しつつある社会(人)にもつき刺さるものがあるはずだ。裏を返すと、高校生である主人公たちは、ぜんぜん現代の高校生らしくないのです。

その理由は、高3である彼らの学園生活には大学受験も就活も存在しないからです。天城さんは実家の老舗旅館の女将になるし、花村くんは大手ショッピングモールを親父のコネで入社しそうだし、りせちーは芸能界に復帰するし、里中さんは卒業式のあとで警察なるとかいうし、主人公は東大とかうんぬん以前に何もかもが神すぎて、たぶん起業するしかないしw みんなマイペースなんだよね。でも、そこには一応「私と向かい合った結果としての私」がある。実際、田舎の一部の高校では、こんな感じのテンションが残っているし、社会的にもこれのほうが健全なんじゃないか。

いまの高校生とか大学生って、とりあえず一元的な偏差値ゲームにのっかるか、SPIとか公務員試験講座みたいな就活ゲームにいくわけでしょう。理由は「みんなやってるから」。いや、でもそれはクソゲーですよ。それって、先の中学性日記のような「おれって、なに?」みたいな実存論的ハシカをスルーしちゃっている。その一方で、田舎では、なしておまえは大学行くべ?そんで何をしよっと?みたいな問いが生き残っている。こういうのが通過儀礼になって、少年少女はペルソナを得る=オトナになっていくと思うのね。

逆にそういう免疫を持たないまま大学へ行っても、大学なんかくだらん講義しかないとはいえ、そもそも何が面白いのか見分けがつかないし、さらに社会人になって上司から「おまえって、ほんとつまんねーな」って言われてはじめて、「え、面白いってなに? おれってなに」になって急にアタフタするわけです。ファスナーを開けると、水玉模様すら無い、中身が空っぽの着ぐるみであることにそこではじめて気付く。

そして、サルのように黒板の文字列をノートに転写することや、コピペレポートをいかに要領よく作成することを「勉強」だと思ってきた着ぐるみたちは、いい年して大学の講義以上にくだらない自己啓発本を買いあさるるようになる。それで中身が埋まると思っているわけだ。嗚呼、地獄ですねえ。でも、それはチープな新興宗教でしかない。クソゲーをシニカルにプレーしてきた奴にかぎって、結果、インチキ自己啓発本の著者なんかをセンセイと崇めたりしちゃうわけです。

そーゆー失敗も含めた自分探しは、10代で卒業すべきものであって、20代でやることではないと思う。でも、ゆとり教育とは裏腹に、今の10代にはそういう機会が昔以上にないような気がしますね。

どうせ現時点での優良企業なんて10年後倒産か合併しているし、外資に行ったって中国かアフリカへ転勤って言われるだけだし、地方公務員になっても人口減少社会では夕張みたいに破綻する危険があるし・・・ってかこの国って絶望しかないわけだけど、観光地としてそこそこ活気がある田舎町の商店街で、細く長く商売することの方が意外と安定しているということに気付くべきなんだよなあ。